ニュージーランドにのめり込み始めた学生時代のぼくは、「将来、あそこに移住できたとしても、どうやって現地でお金を稼いでいけばいいか、まったくわからない」という不安を抱いていた。
当時は、移住先で釣りや旅行のガイドになるという選択肢しか思いつかなかったが、それらはどうも違う気がした。
では、なぜぼくが今、個人として生きていくことができているのか? もし、一度も日本社会で働かずに今の生き方を実現することは難しかっただろう。
まず、会社員5年目までに体へたたき込むようにインストールした、社会人としての一般教養ともいえる「①ビジネスマナーや基本的な会社員スキル」がなかったら、実現不可能だっただろう。
次に、それによって、社内外でビジネスパーソンとしての基本的な信頼を得られるようになったからこそ、その後10年かけてプロデュース業という「②専門スキル」を身につけることができたのだ。
さらに、それらにぼくの「③独創性=何年も夢中になってきたこと(ニュージーランド、旅、アウトドア、持続可能な暮らしなど)」が掛け合わさった結果が、10年目に入る今の仕事を創っている。
いきなり③に飛んだわけではない、ということをぼくは伝えたいのだ。
ちなみに、ワーナーミュージックでプロデュースワークに従事していた頃、絢香もSuperflyも、デビュー前に行った社内プレゼンの際に、彼女たちのことを「いいね」と言ってくれた人はほとんどいなかった。むしろ、社内外ほとんどの人から「売るのは難しいよ」も言われまくったほど。だが、その後の彼女たちの活躍はご存知のとおり。
そう。周囲の冷ややかな反応や抵抗に負けず、自分の感覚とアーティストの才能を信じ抜いたことで、誰も知らない「だれか」や「なにか」を世の中に伝えられるブランディングやマーケティングという専門スキルを獲得できたのだ。
また、それは地道に習得した「②ベーシックスキル」が土台にあったからこそ可能だったということは言うまでもない。
だからあなたも、公務員、会社員、アルバイトといった立場に関係なく、まず、今いる場所で学べる「どの業界でも通用する基本スキル」を徹底的に習得しよう。そして、その上でなにか1つ、誰が見てもその人が何者か認識できるような専門性を身につけるために型を破り、リスクを負って挑戦し続けよう。
ベーシックスキルを学ぶステップにいるときは、愚直に、脇目も振らず目の前の仕事に集中すること。そして、次の「②専門スキル」を手にするためには失敗を恐れず、わずかなチャンスだとしても勇気を持って矢面に立ち、小さくてもいいので自身が納得できる結果を出すこと。
謙虚な気持ちで行動し続けたあとに、思い切って挑戦する。そうして手にした2つのスキルという最強の武器は、あらゆる職種や仕事にコンバート(変換)が可能で、そのあとのあなたの人生をずっとデザインし続けてくれるだろう。

※この記事は『Mac Fan 2019年9月号』に掲載されたものです。
著者プロフィール

四角大輔
作家/森の生活者/環境保護アンバサダー。ニュージーランド湖畔の森でサステナブルな自給自足ライフを営み、場所・時間・お金に縛られず、組織や制度に依存しない生き方を構築。レコード会社プロデューサー時代に、10回のミリオンヒットを記録。Greenpeace JapanとFairtrade Japanの日本人初アンバサダー、環境省アンバサダーを務める。会員制コミュニティ〈LifestyleDesign.Camp〉主宰。ポッドキャスト〈noiseless world〉ナビゲーター。『超ミニマル・ライフ』『超ミニマル主義』『人生やらなくていいリスト』『自由であり続けるために 20代で捨てるべき50のこと』『バックパッキング登山大全』など著書多数。