多かった頃は3日に1度のペースで講演をしてきたが、資料は毎回つくりなおしている。ミュージシャンのライブやスポーツの試合と同じで、すべての講演は一期一会。1時間の講演でも資料作りには7~10時間はかかる。完成はいつも登壇直前のギリギリのタイミング。その日の最新ニュースを盛り込んだり、来場者の雰囲気を見て最終調整をする。
だから、事前に配布用の資料を頼まれると困ってしまう。本来は断るが止むを得ず受けた場合、配布専用資料を別途つくるのに、さらに7時間ほどかかる。
あまりに大変なので、最近は講演数をかなり絞った。だが、旅行好きなので遠方の講演はつい安請け合いしてしまう。
また、これまであまり話をしていないテーマの講演は受けることも多い。集めていた情報や考えをまとめる良い機会になり、日常の中でも発見が増えるからだ。
ニュートンは木からリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見した、と信じる人が多いが、筆者は、ニュートンは万有引力のことばかり考えていたから木から落ちるリンゴを見てそれを発見できたと考えている。同様に記事を書いたり、講演資料をまとめたりする際も、そのテーマを胸に抱いたまま日常を過ごすと、その中で新たに発見することが多い。
さて、そんな筆者の最新の講演は「AI全盛時代に向けた教育」がテーマだ。本誌の発売日頃、大分で話している予定だが、事前資料の提出があったため、本稿を書く前に骨子の整理ができた。その全貌をここに書くことはできないが、一番の肝となる、これからの学校を通して与えるべきものは「個性」「モチベーション」「本物」の3つに集約できた。
「個性」は、均質な人材の大量生産を目指して与えられてきた教育とは正反対の価値感だ。丸暗記の情報や定石に従った解法はAIがもっとも得意とするところで、今後は価値が低くなる。それより倫理や哲学、文学などに触れ、その中から自分がしっくりとくる価値観を発見し、自分ならではのストーリーを紡いで蓄積していったほうがよい。人とAI+ロボットが同じモノをつくったり、同じ振る舞いをしても、生身の人間が行った場合と、学習したとおりに再現した機械が行った場合とでは(表面上区別がつかなくても)行為の裏の意味が異なってくる。
「モチベーション」は、何よりも大事だ。今は、学校に行かなくてもインターネットの情報でいくらでもエキスパートになれる時代(偽情報や質の低い情報に気をつければ)。なるか、ならないかの差はモチベーションの有無だけだ。同様に教員がいくら熱心に教え、それに生徒がうなずいていても、生徒にモチベーションがなければその内容は身につかないだろう。一方、モチベーションが高ければ何かを探求・研究・開発する際に、成功するまでくじけずに別の方法を試し続けられるだろう。「モチベーション」は「実現力の後ろ盾」でもあるのだ。
「本物」は、本物の大自然、本物の楽器、本物の偉人などを生で体験するということだ。これからは「わざわざ本物に触れなくても、どこにいても簡単にバーチャルに体験」できるテクノロジーが増える。
でも、だからこそ本物が持つ迫力だったり、美しさだったり、儚さだったり、バーチャルでは省略されがちな醜さだったり、臭さだったり、痛さだったりを知ることが重要だ。そうしたものを知らず、根無し草の仮想知識だけで世の中に関わるようになると、とんでもないディストピアをつくる人間になりかねない。
いずれも筆者の私見ではあるが、何が本当に正しいかなんて、おそらく何百年か先までわからない。ただ、筆者はこうした教育で育つ子ども達にこそ活躍してほしいと思う。