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医用画像の3D化にイノベーションを起こした“週一のラーメン”

著者: 朽木誠一郎

医用画像の3D化にイノベーションを起こした“週一のラーメン”

CTやMRIなどの画像は2Dで出力される。そのため、従来の脳外科手術は「医師のイメージ頼り」だった。 そんな中、最先端の画像処理技術を駆使し、医療用ソフトウェア開発に取り組むスタートアップと医師がいる。 質が高く役に立つものを、それを作ることのできる人と作る。医療にイノベーションを起こすヒントに迫った。

イメージ頼りの手術を変えたい

そのアプリを前に、筆者は同行の編集者ともども息を飲んだ。まずは、人間の脳の周りを走る血管や組織を精緻に描き出す3Dグラフィックスに。そして、いつものようにiPadの画面をなぞり、ピンチイン/アウトすることにより、任意の方向から自由に縮小/拡大して人体の構造を滑らかに見ることのできる操作性に。

アプリ名は「アイリス(iRis)」。東京大学医学部脳神経外科助教の金太一医師と株式会社Kompath(以下、コンパス)が共同開発した。金医師は独学でゲーム開発エンジン「ユニティ(Unity)」の操作を習得、いくつかのアプリを制作していた。一方コンパスは三菱商事株式会社でIT領域の新規事業開発に携わってきた、代表取締役・高橋遼平氏が2015年10月に設立したスタートアップで、博士号を持つCTOをはじめとする技術力の高いエンジニアチームで構成されている。両者は互いのイノベーション創出における価値観に共感し、コンパス社が金医師の発明した特許4件をライセンスインする形で提携が始まった。

医療現場には、医師、エンジニア、ビジネスプロデューサーが協業することで、解決できる課題がある。しかし、このような異分野間の連係は成功例がそう多くないのが現状だ。どうすれば、高いレベルでの異分野連係を実現できるのか。両者はこの連係により、どんな医療を実現したいのか。金医師と、コンパス社代表取締役の高橋遼平氏に話を聞いた。

金医師がユニティに興味を持ったのは、約5年前。背景には医師の視点から、医療現場の課題を解決したいという思いがあった。

金医師が専門とする脳外科手術では、人体において最重要臓器ともいえる脳や、そこに出入りする神経や血管を扱う。非常に繊細で、1つのミスが文字どおり“命取り”になるものだ。一方、患者の脳を映し出すCTやMRIといった医用画像は、平面の写真としてアウトプットされるため、それだけでは実物のように立体視できない。

従来の手術では、医師が医用画像の情報などを元に、頭の中で三次元化するしかなかった。つまり、患者の頭蓋骨に穴を開けるまで、個人差の大きな脳の周辺構造は、あくまでイメージするにとどまっていたともいえる。これではチームを組む医師間でさえ情報共有が難しく、手術のリスクが上がってしまう。

そもそも、医用画像の一般的な解像度は、1ミリの構造がやっと描出できる程度。しかし、脳外科手術で重要な血管や神経は、それ以下の大きさのことも多い。すでに医学の世界に存在する人体模型のような解剖の知識と、実際の患者の医用画像の融合が必要だが、それを可能にするシステムはなかった。

「ないなら自分で作ろう、と。3Dモデルにリアルタイムに情報を反映するという面で、ゲーム開発との類似性が高いと考え、ユニティを学ぶことにしました。とはいえ、プログラミングの経験すらありませんでしたから、最初はとにかく空いている時間に、わからないことネットで検索したり、掲示板で質問したりしながら作る、という感じでした」(金医師)

約1年の試行錯誤を経て、患者の医用画像を反映した脳の3Dモデルを見ることのできるアプリ「ブレイン・ビューワ(Brain Viewer)」が完成。その後、金医師が所属する東京大学のほかのメンバーと、3Dグラスを使った脳外科手術シミュレーションアプリを制作するなど、金医師はユニティに習熟していった。

東京大学医学部脳神経外科助教の金太一医師(写真上)と株式会社Kompathの代表取締役・高橋遼平氏(写真下)。医療現場における課題とイノベーションについて語ってくれた。

金医師がUnityで最初に制作したアプリ「Brain Viewer」。金医師が 執筆した専門医のためのガイドブックの付録にもなった。

“質の高い”必要なもの

そして開発されたのが、冒頭に紹介した「アイリス」。現在、東京大学の脳外科手術に常用されているほか、さまざまな医療現場に導入が始まっているという。

医療現場にはイノベーションが起きにくいという声も聞こえるが、なぜ「アイリス」は高い評価を得ているのか。そこには金医師の「無意識に使えるもの、本当に役に立つものを作れば、結果的に日々使われる」という理念がある。だからこそ、“ヌルサク”な操作性やスタイリッシュなUIを追究。現場の医師として必要なポイントを徹底して押さえた。

「たとえば、これまでのソフトでは、人体の3Dモデルがあっても、モデル自体を動かす仕様で、カメラ(視点)を動かすものはほとんどなかった。あるいは、モデルを回転させる中心が体の中心だったり…。これではCTやMRIの情報を反映させることはできないし、何より見にくいです。現場レベルでは使いにくいもので、だから使われなかったんです」(金医師)

しかし、このようなプロダクトが世に出てしまうことには理由がある。医師と開発者側に「共通言語」がなかったのだ。

「医師が当然だと思っていることと、エンジニアが当然だと思っていることは違う。一緒に開発をしてみてわかったのですが、それを意識しないと話が通じないんです」(金医師)

たとえば「脳をどけてその奥にある血管を見る」という3Dモデルを作ろうとしたとき、エンジニアから「物理的な整合性が気になるので時間がかかる」と言われた。しかし、医師が気になるのは脳の凹み方が正確であるかどうかではなく、その奥がどんな角度からどれくらいの範囲まで見えるか。気にするところがお互いに違うのだ。

そんな医師とエンジニアの壁を取り去り、共通言語を作るためには「週に1回のラーメン屋」が必要だったという。

「ユニティは共通言語になり得ますが、それを使うのは人。食事をともにし、雑談レベルから密なコミュニケーションを取ることで、意思疎通が速くなりました」(金医師)

医用画像処理ソフトウェアの研究・開発及び販売を業務とする株式会社Kompath。国立研究開発法人日本医療研究開発機構、「未来医療を実現する医療機器・システム研究開発事業『術中の迅速な判断・決定を支援するための診断支援機器・システム開発』」等の支援を受け、最先端の医療機器開発に取り組む。

異分野間の連係が不可欠

金医師はコンパス社と提携したアイリス開発の経験から「イノベーションのためには異分野間の連携が不可欠」だと強く訴える。

両者が2018年に開発した「Simple DICOM Loader」と「High Speed CPU-based Marching cubes」という2つのユニティアセット(開発用のアドオンのようなもの)を、5000円~1万円と安価で提供しているのも、この分野への他社の参入ハードルを下げるためだという。

これらは、医療用画像のフォーマットであるDICOMをユニティ上に表示、さらにDICOMに紐づけられている位置情報をもとに自動で3D化する。

非常に便利なアセットであるため、高橋氏は値段について「エンジニアからは“1桁おかしい”と言われました」と苦笑する。しかし、高橋氏は「すでにある技術は誰でも使えるようにしてプレーヤを増やし、さらに高度なチャレンジをするほうが、医療現場にとっていい」という理念が共通してあるという。

「一見、医療と関係ないように見える技術が、医療に大きなイノベーションをもたらす可能性があります。異分野の方も、気軽に私たちの技術を使ってほしいです」(金医師)

iRis

【開発】株式会社Kompath 【価格】5000円

【場所】App Store>メディカル

高精細頭部解剖アプリとして制作された「3D解剖学アトラス:iRis」。金医師と共同研究者の成果をコンパス社がiOSアプリケーションとして実装した。金医師は「3Dグラフィックでここまで詳しいものはほかにない」と断言する。本アプリケーションは、内閣府総合科学技術・イノベーション会議が主導する革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)「バイオニックヒューマノイドが拓く新産業革命」による成果だ。

eMma

【開発】株式会社Kompath 【価格】無料

【場所】App Store>メディカル

iTunes経由で医用画像を送ることで、スマートフォンやタブレットで閲覧できるようになるiOS用の無料アプリ「eMma」。本アプリケーションは、国立研究開発法人科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業(社会技術研究開発)「研究開発成果実装支援プログラム」による成果である。

今後、3Dプリントした模型にiRisの詳細な情報をARで表示するアプリ「ARis(仮称)」の提供も予定している。専門医試験対策など、医学教育の現場では模型が使われることが多いが、模型自体を精巧にするのは限界がある。そこをコンパスの画像処理技術で補い、簡素な模型でも構造が詳細に確認できるようにする。ARなら模型の内部構造も自在に映し出せる。

金医師とKompathのココがすごい!

□精巧で高操作性の頭部解剖アプリ「iRis」を開発

□iRisの技術を手術やARを活用した 教育などに応用

□異分野との連係により 数々のイノベーションを引き起こす