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アップルの40年にわたる教育への取り組み

アップルの40年にわたる教育への取り組み

【PART I】アップルⅡの快進撃と教育向け需要の高まり

~ゲームソフト「オレゴン・トレイル」とミネソタ州での採用~

 

アップルが今日のようなパーソナルコンピュータの原型となったApple IIを発売したのは1977年のことだった。そして、そこからコンピュータ業界おいて伝説的ともいえる同社の快進撃が始まった。

特に、教育とコンピュータの関係という観点から非常に興味深いのは、Apple IIが誕生する以前から、ゲーム形式で歴史を学ぶというコンセプトの教育ソフトが存在していたことである。それは、1971年に中学校の歴史の教師が中心になって開発した、ミニコンピュータ(大型機よりも小さいが、サイズはロッカー数個分)向けの「オレゴン・トレイル(The Oregon Trail)」で、西部開拓時代に幌馬車で西を目指す開拓者のリーダーとなり、過酷さで知られた同名の街道をめぐる歴史を勉強するという内容だった。

このオレゴン・トレイルに着目したのがミネソタ州教育コンピュータ・コンソーシアム(MECC)であり、1974年に、より史実に近い内容に改訂してMECCのサーバから利用できるようにしたところ、月に1000人もの利用者がある人気ソフトとなった。

これを踏まえて、MECCは、500台ものApple IIの大量発注を行った。ミニコンピュータよりもはるかに安く、オレゴン・トレイルを遠隔利用するための端末としてはもちろん、単独でBasicプログラムを組めたり、アプリケーションを動かせるApple IIは、コンピュータ利用に意欲的な教育者たちにとって理想的な製品といえた。そしてMECCは、Apple IIの教育機関への販売権も得て1982年までアップル製品の最多販売チャンネルとなり、同コンピュータを教育市場に浸透させるうえで大きな役割を果たしたのである。

Apple II向けのネイティブバージョンも発売されたオレゴン・トレイルの最新版はiOSデバイスでも楽しめるほか、より原型に近い1992年のDOS版をMacのブラウザから利用できるので、黎明期の教育ソフトに思いを馳せながらプレイしてみるのも一興だ。

●教育市場における各OSのシェア推移

英調査会社Foturesource Consulting社の「教育技術 K-12市場レポート」。2013年には高いシェアを占めていたiOSだが、2014年になるとChrome OSに抜かれ、2015年には大きく水をあけられている。

【PART II】教育市場を基盤に成長したアップルII

~小中学校を中心に広がったメリット~

 

最小構成で1298ドルのApple IIがライバルと大きく異なっていたのは、家庭用テレビを使った最大15色のカラー表示機能と自作の回路などに接続できる8基の拡張スロットを備え、(当時の基準において)高速・大容量の外部記憶装置であるフロッピーディスクドライブ(製品名Disk II)をオプション設定していた点だ。これらの特徴が、実用目的で使えるソフトウェアの実行装置としての性格をApple IIに与え、増加するユーザを目当てに対応ソフトも増えるという好循環が生み出され、アメリカでは、いわゆるコンピュータ教室を設ける学校も次第に増えていった。

1978年には7600台だったApple IIの販売台数は、1年ごとに3万5100台、7万8100台、約18万、約30万台と倍増する勢いを見せ、特に教育市場向けには、大口顧客対象のディスカウントや優先的な製造を行うと同時に、Apple IIを利用する教師にスポットを当てた雑誌広告掲載などのマーケティング活動を行ってシェアを拡大。小中学校を中心に、一般教科だけでなく、障がい児教育にもコンピュータの利用するメリットが認知されていくことになる。

【PART III】教育市場シェア80%の黄金期

~1校に1台を目標に政府へ働きかけたジョブズ~

 

1983年にApple IIeが誕生する頃には、世界最大の教育ソフト群を擁するようになり、アップルの教育市場におけるシェアは最高80%にも達した。

しかし、その時点でも、学校におけるパーソナルコンピュータの普及率は微々たるものであり、ジョブズは、せめて1校に1台のマシンがあれば、それに触れた子どもの人生は変わるだろうと考えた。そして、1982年に、全米の幼稚園や小学校にApple IIを寄贈することを思い立ったが、時代の寵児とはいえ、まだ若いアップルには負担が大きく、断念せざるをえなかった。

ジョブズは、幼稚園や小学校にコンピュータを寄付した企業が税の優遇措置を受けられるよう米議会でロビー活動まで行い、最終的にカリフォルニアの州法でそれが実現されることになった。これを受けてアップルは、“Kids Can’t Wait”(子どもたちは待てない)と銘打ったキャンペーンをローンチ。100人以上の生徒数を持つ同州内の全小中学校9250校に対してApple IIeを寄贈し、結果的に教育市場における存在感をさらに高めたのだった。

このキャンペーンの成功は、1985年から1994年頃までアップルが進めたACOTこと、“Classrooms of Tomorrow”(明日のクラスルーム)というリサーチへとつながる。ACOTは、複数の公立学校や大学の協力を得て、生徒1人に1台のコンピュータを割り当て、さらにビデオディスク、ビデオカメラ、スキャナなどにも自由にアクセスできる環境を整えるという実験プロジェクトだった。

その結果、今でいうIT環境の整備の重要性に加えて、それを活かせるカリキュラムと教員の重要性が浮き彫りとなった。ティム・クックが掲げた“Everyone Can Create”が、まさにその点を補うものであることは興味深い。

【PART IV】初代Mac登場後も残ったアップルⅡ人気

~家庭用の最初の1台としての需要を担った時代~

 

1984年にデビューした初代Macは、直感的に使えるGUIやマウス操作を実現し、ウインドウの文書を紙と同じ感覚で使えたため、Apple IIよりも多くの人々に支持されるものと期待されていた。しかし、2500ドル弱という価格や、モノクロ2値のディスプレイ、新プラットフォームゆえのアプリケーション不足などから、教育機関は引き続き、Apple IIを購入し続けた。

Apple IIは、解像度こそ低かったものの、専用ディスプレイがなくともテレビ上にカラーグラフィックスを表示できたため、大型テレビではそのまま拡大表示が可能となる。その点も、従来は言葉や板書に頼っていた込み入った概念の説明を視覚化したり、シミュレーション的に操作するための手段として非常に有効といえ、より効果的な教育メソッドを求める多くの教育者たちの心を捉えたのだ。

そして、バッテリ駆動はできないものの、ハンドル付きでポータブルなApple IIcも初代Macと同じ年に発売され、家庭用の最初の1台としての需要を担っていく。結果的に、Apple IIは1993年まで生産と販売が続けられ、販売終了までの間に累計500万台という記録を打ち立てた。

【PART V】時代に即した数々の教育へのアプローチ

~ハイパーカードの登場といち早い認定制度の制定~

 

1987年にアップルがカード型のマルチメディアオーサリングツール「ハイパーカード」をリリースすると、Macは教育者の注目を一気に集めるようになった。すべてのMacに無償バンドルされたハイパーカードは、プログラマーでなくともマルチメディア教材を作ることができ、教師一人一人が自らの経験やアイデアを生かしたコンテンツ制作が可能となったことが、需要に火をつけたのである。

また、アップルは、1990年に、低い価格設定を行ったMacintosh Classic(一体型)/LC(ローコストカラー)/IIsi(ビジネス向けエントリーモデル)のローコストMacトリオを市場投入。さらにMacを買いやすくするために、教育向けや家庭向けのアプリケーションをバンドルしてコストパフォーマンスを向上させたパフォーマ(Performa)シリーズが1992年にデビューすると、CD│ROMによる百科事典や図鑑系の大容量マルチメディアコンテンツの普及も本格化する。

それと前後して、高度化するテクノロジーを理解して教育改革を現場で実践できる教師の重要性が高まり、“Classrooms of Tomorrow”を引き継ぐ形で、アップルが知識や実績を考慮して認定するADE(ディスティングイッシュド・エデュケーター)制度も1994年にスタートした。

その後、Apple IIとMacに続く第3のプラットフォームとして、「ニュートンOS」を採用した教育向けデバイスのeMate 300を開発し、その簡便さや頑丈さが一部の教育者から強い支持を集めた。その持ち運び可能で壊れにくいポータブルデバイスとしての特徴は、1999年の初代iBookに受け継がれ、このノート型Macに世界で最初に純正オプション設定されたWi-Fi機能が、教育機関を含むさまざまな場所にワイヤレスネットワークが設置されていくきっかけを作り出した。

一方で、2000年代に入ると、教育現場の側からも、本来は音楽再生デバイスとして開発されたiPodを語学学習などに応用する動きも見られ、ポッドキャストを利用した教材配布や通信講座なども行われ始める。これを受けてアップルは、iTunesサービスの一部として教育向けのiTunes Uを開設し、各国の一流大学を含む高等教育機関を中心に、デジタル教材配布のためのオンラインプラットフォームとして成長させていった。

【PART VI】iPadとプログラミングの時代へ

~ジョブズのあとを継いだクックの教育改革~

 

2010年、アップルは、ジョブズがiPhone以前から構想を温めてきた初代iPadをデビューさせ、爆発的な人気を博した。翌2011年には、iTunes Uに登録された教育機関が22カ国に及んで1000校を超え、教材数35万点、月間ダウンロード数3億件を誇るようになった。そして、2012年にはアメリカ国内の学校に導入された台数が累計120万台に達した。

iPad普及の原動力の1つとなったのが、マルチタッチ可能なデジタル教科書をオーサリングするための無料ツールである「iBooksオーサー」である。構造化されたインタラクティブなデジタルブックを誰もが制作できる同アプリは、教材を自ら開発したいと考える教育者などに受け入れられ、サードパーティによる教育向けの拡張機能も提供されている。

ジョブズのあとを継いだティム・クックは7インチのiPadミニや、アップルペンシルとキーボード内蔵のスマートカバーに対応したiPadプロをラインアップに加えるなど、時流に合わせてiPadのバリエーションを拡大してきた。

さらに、プロが使うプログラミング言語のスウィフトを子どもたちが楽しみながら学べるiPad専用アプリの「スウィフトプレイグラウンド」を2016年にリリース。そして、シカゴの教育イベントで発表されたアップルペンシル対応のエントリーiPadによって、改めて創造性を軸にして、今もメーカーの立場から教育改革への挑戦を続けている。

Apple×Education:40 Years of History

※ e-Learning Industry調べ