MacBook ProやiMac Proに搭載が始まったAppleオリジナルのチップセット「Tシリーズ」。その存在が担う役割には現在何があるのか、そしてこの先に待っているものとは。分解写真やその内部で使われているフレームワークといった断片的情報から、Appleの真の狙いを紐解いていく。
謎の新型チップの正体
最先端技術を意欲的に取り入れ、プロ向けのワークステーションとして高い完成度を誇るiMacプロ。その内部に使われているテクノロジーやハードウェア設計の分析を行ったところ、謎が残るチップがあった。それが新たに搭載された「アップルT2(以下、T2)」である。
このT2は内部ハードウェアにおいて、どのような役割を担うのだろうか。アップル公式サイトによると「Macシステムに搭載されているさまざまなコントローラを再設計して統合したこのチップにより、Macが新しい能力を発揮します」と記載されている。
似たような役割を持つものにPCH(プラットフォーム・コントローラ・ハブ)チップがあるが、こちらはUSBなどの外部インターフェイス、ストレージなどのデータを統合し、CPUやメモリとのやりとりをサポート処理する目的で存在するものだ。T2はPCHではサポートされていないSMC(システム管理コントローラ)や画像信号プロセッサ、オーディオコントローラといった従来まで独立していたチップ群を統合するためにアップルが独自にデザインしたチップである。
T2はどれくらいのパフォーマンスを発揮するのだろうか。たとえば画像信号プロセッサであれば、フェイスタイムHDカメラと連係し、強化されたトーンマッピング、進化した露出コントロール、顔検出ベースの自動露出機能と自動ホワイトバランス機能といったものが使えるようになったという。
実際にロジックボードに搭載されたチップをチェックしてみよう。表面にはいくつかのナンバーが刻印されているが、そのうちのひとつに「H9HKNNNBRUMUVR-NLH」とある。これは、品番からSKハイニックス社製のLPDDR4メモリで、サイズは64GBであると推察される。これは汎用チップが持つサイズとしてはかなりの大きさであり、T2はただの統合チップセットではなく、より高度で複雑なオペレーションを実行することを期待して設計されていることを示している。
iFixitによるiMac Proの分解写真。ディスプレイに接する面にはプロセッサやメモリといった主要なチップモジュールは配置されておらず、すべて背面側に実装されている。 photo●iFixit.com
T2チップに刻印された「H9HKNNNBRUMUVR-NLH」のモデルナンバー。紛れもなくSK Hynix社製のLPDDR4メモリが積層されていることを示す証拠だ。品番から使われているメモリはLPDDR4(1.1V/1.1V)3200Mbps、容量は64GB(16bitメモリを4積層)というスペックを持つと推察した。
T2の正体を知るために重要な手がかりとなるのが、その前世代にあたる「T1」だ。こちらはタッチバーを搭載したMacBookプロ(2016)に新たに搭載されたチップセットで、タッチIDで使用する指紋認証などのセキュリティ保護やタッチバーのディスプレイ描画など複数の機能を担っている。このT1で使われているチップだが、複数のデベロッパーからアップルウォッチで使われているCPU「アップルS」シリーズの姉妹版が使われている可能性が指摘されている。
さらに内部にはウォッチOSと共通のフレームワークを内包しており、macOSとも分離された独自のOSを持ったハードウェアとして動作していることも判明している。これはT2も同様で、非公式ながら一部の界隈ではこのOSを「システム情報」に新たに追加された項目にちなんで「アイブリッジ(iBridge)」もしくは「ブリッジ(bridge)OS」と呼んでいる。
bridgeOSが組み込まれた最初の製品と呼ぶべき「T1」チップ。革新的なアイデアを内包し、多様な可能性を感じるテクノロジーだ。セキュリティレイヤーを多分に含むためか、その技術仕様は開発者向けにも限定的にしか公開されていない。Tシリーズの発展とともに新たな活用法に期待がかかる。
Apple watchの心臓部である「S1」チップ。その小さな筐体の中にバッテリやTaptic Engineなどのコンポーネントと共生しながら収めるため、そのサイズは極めてコンパクトだ。おそらく当初からTチップなど、組み込み用途に流用する意図があったのだと思われる。
T2がウォッチOSと同じ流れを組むOSを積んでいることを示す証拠は、ほかにもある。「セキュア・エンクレイブ(Secure Enclave)コプロセッサ」の存在だ。これはiMacプロのSSD上にあるデータを、パフォーマンスに影響を与えない専用のAESハードウェア、つまり従来のようにバックグラウンドでCPUリソースを消費することなく暗号化することができる。ほかにもシステム内にある最下位(一番最初に読み込まれる)レベルのデータの改竄を防ぎ、起動時にはソフトウェアの信頼性も検証する機能を持つという。
このセキュア・エンクレイブと似たような役割を持つものを見たことがないだろうか。そう、iPhoneやiPadに搭載されているセキュア・エレメント(Secure Element)だ。タッチIDで使用する指紋データをiOSとは分離して格納することで、改竄やハッキングをほぼ不可能にするセキュリティ機構を、アップルはすでに運用している実績がある。ウォッチOSもそもそもiOSから株分けされて育った経緯を考えると、T2チップを持つiMacプロは「macOS」と「ブリッジOS」という2つのOSを搭載したマシン、と考えることもできるだろう。
iMacの「システム情報」をチェックすると従来までのMacにあった「SMCのバージョン(システム)」や「ブートROMのバージョン」といった項目がなくなっている。これは機能そのものがなくなったというよりも、T2に統合されたことによって従来と同じ表記ができなくなったためだと考えたほうが良さそうだ。
T2チップが内蔵するSecure Enclaveは、より安全な起動システムをもたらした。だが、同時に外部起動システムの代表格である「NetBoot(NetInstall)」による復元ができなくなる、というレガシーなITデプロイメント手法との決別も求められるようになった。【URL】https://support.apple.com/ja-jp/HT202770
T2、そしてiBridgeによって新たな初期化方法として提供されたのが、Apple Configuratorによるリストアモードだ。iMac Proを手順に従ってDFUモードに切り替えることによって、まるでiOSデバイスのように別のMacからUSB-C(もしくはThunderbolt 3)を使って復元することができる。【URL】https://help.apple.com/configurator/mac/2.6/#/apdebea5be51
見えてくる次世代の姿
しかしなぜ、アップルはTシリーズのチップセットをMacに搭載するに至ったのだろうか。まず、1つ目の理由として考えられるのが「ハードウェアとしての差別化」だ。iOSデバイスにはタッチIDやフェイスIDなどのセキュリティ機能を使ってパスコードのロック解除やアップルペイの決済といったものを快適に使える環境を提供している。
これを今後Macでも広めようとする場合に、他社の開発を待たずに実装できるメリットは多いはずだ。事実MacBookプロにはすでにタッチIDが搭載されていることを考えると、フェイスIDを利用可能なMacが今後登場し、そのバックグラウンドでTシリーズが活用されていたとしても何ら不思議はないだろう。セキュリティの観点から見てもメリットは多いため、今後発売される新型MacにはTシリーズのチップセットが内蔵されるのは既定路線なのは間違いない。
また、2つ目の理由として考えられるのが「より高性能なハードウェア制御」の実現だ。たとえば5Kを超えるような解像度を持つディスプレイは、データ転送速度も膨大でかつ転送タイミングも従来よりもよりシビアになる。これを制御するTCON(タイミングコントローラ)を高いレベルで実現するにはTシリーズのようなチップセットのサポートはアドバンテージとなる。
現在アップルはまったく新しい設計になった次世代Macプロを開発しているが、それと同時に新型ディスプレイも準備しているという。もしかすると、このディスプレイの必要条件にはTシリーズチップセットを搭載したMacが求められるかもしれない。iMacプロは現時点で最強のワークステーションであると同時に、未来のマシンたちの運命を決める「ターニングポイント」としてその名をアップル史に残す存在になりそうだ。