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【WWDC2017】Special Report

著者: 松村太郎

【WWDC2017】Special Report

アップルという会社を今一度知らしめた基調講演

今回のWWDCは、予想以上に、ハードウェアへのフォーカスが当たるイベントだった。しかし、WWDCの主役はソフトウェアであり、アプリ開発環境であり、開発者だ。今回のWWDCを取材して筆者が感じたことは、2点。まず、テクノロジーのトレンドにきちんと応えたこと。同時に、そのトレンドに対して、アップルがどのように考えているのかを示せたことだった。

アップルはしばしばシリコンバレーにおいて、先端的なテクノロジーの「ストッパー役」に映ることがある。スタートアップ企業や他のプラットフォーム企業が次々に見せる新しいアイデアに対して、アップルは取り組みを見せる時期を遅らせたり、年に1度の新ハードウェア、新OSリリースというサイクルによって周りに素早い変化が起きることを拒んでいる。

アップルが仮想現実(VR)についてこれまで取り組んでこなかったことに対して、アドビでVR広告などを手がける担当者から、「アップル次第で市場が開ける」と、アップルが取り組むことに期待を寄せる発言もあった。実際に、セットトップボックス、スマートフォン、タブレット、スマートウォッチと、アップルが取り組んで市場が生まれたテクノロジーの分野は数多い。

アップルは、人々が受け入れられる最良のタイミングで、最良の方法で、テクノロジーを我々の生活に届けようとしている。それ故に、最先端を追いかける企業にとって、アップルの動きが遅く感じると同時に、そのテクノロジーがメインストリームへと駆け上がる「シグナル」として、アップルが動くことへの期待も大きいのだ。

今回のWWDCでアップルが新たに取り組んだ領域は、モバイルでの機械学習や人工知能の処理、モバイルでの拡張現実(AR)、MacでのVR制作環境、写真とビデオの保存フォーマットの変更、AIスマートスピーカ、アップルウォッチのジムマシンとのNFCによる連携などがそれにあたる。同時に、WWDCに集まる開発者たちは、これらの新しい技術を活かしたアプリ作りに取り組む。こうして、アップルは、テクノロジーの時代を作っていくのだ。

WWDCから、3つのテーマで、アップルなりの方法論を読み解いていこう。

iPhoneが向かうのは分散型機械学習プラットフォーム

まず1つは、機械学習に関するアプローチだ。機械学習は、人工知能を構築する中核技術として、各テクノロジー企業が取り組んでいる領域だ。アップルも2011年にiPhone 4SにSiriを搭載してから投資をし、力を入れている領域だ。

しかし、現在の機械学習や人工知能のトレンドを見てみると、アマゾンやグーグルは、人気のあるクラウドコンピューティングサービスを自前で用意し、そのリソースを存分に使って、世界最高レベルの機械学習環境を整えている。その結果が、アマゾンエコー(Amazon Echo)に搭載される音声アシスタント「アレクサ(Alexa)」の発展であり、世界最高レベルの棋士をなぎ倒すグーグルの「アルファゴー(Alpha Go)」なのだ。

アマゾンやグーグルに比べると、アップルのこの領域に対する取り組みは、さほど派手には映らない。しかし、その理由についても、今回のWWDCで明らかになった。Siri主体では、開発者が主役になり得ないからだ。

アップルは今回、「コアML(Core ML)」と呼ばれる機械学習のAPIを発表した。既存のiPhoneやiPad、アップルウォッチ、アップルTV、そしてMacの上で、効率的に機械学習の処理を行うことができるようになる。開発者は、自分で機械学習のプログラムを用意せず、自分のアプリの中で機械学習を活かすことができるようになる。

この発表が意味することは、同じ機械学習ながら、アマゾンやグーグルのように中央にある巨大な処理能力のコンピュータで処理するか、ユーザの手元にあるiPhoneやiPadやアップルウォッチの中で、そのユーザのためだけに処理するか、という違いを見せた、ということだ。

見方を変えれば、機械学習によるパワーやメリットが、アマゾンやグーグルに集約されるか、iPhoneアプリ開発者全体で共有されるか、という違いでもある。アップルが選んだのは後者であり、iPhone向けアプリで機械学習を積極的に活かしてほしい、というメッセージでもあるのだ。

拡張現実の展開もプラットフォームの機能として

2017年のトレンドとして急浮上しているのが拡張現実(AR)だ。

4月にフェイスブックは、「カメラをAR第一のプラットフォームにする」として、ARを活かしたサービスを同社のアプリ内で展開する仕組みを作った。また、グーグルも、「グーグルレンズ」と言われるAR活用手段を提案し、優秀な同社のグーグルアシスタントに搭載した。

アップルは今回のWWDCで、ARについても、iOS 11に「AR Kit」というAPIを備えることで、アプリ開発者が簡単にARを活用したアプリを作成できる環境を整えた。

ここでも、アップルの方法論は、前述の機械学習と同じだ。アップルが何か具体的な提案をするのではなく、開発者が新しいテクノロジーを活かしたアプリを開発できる環境を整える、という点に注力している。

アップルが披露したARのデモは、平面の認識とその上へのオブジェクト配置、光源と影の処理が行える。iPhoneやiPadを用いると、赤外線などの補助的な測距センサを使わず、ただカメラを向けるだけで、連続的にこれらの処理を行っていた。ただ、このデモは、非常に基本的な、お世辞にも目新しいものとは言えなかった。そのことこそ、開発者が活用について自由に取り組んで欲しい、という意思表示でもある。

今年のWWDCはカリフォルニア州サンノゼにあるマッケナリー・ コンベンションセンターで6月5日~9日に開催された。

基調講演はApple CEOのTim Cook氏の登場からスタート。

5300名が参加し、過去最大規模となった今年のWWDC。もっとも若い参加者はオーストラリアから来た10歳の少年、そして最高齢の参加者として日本の若宮正子さんが紹介された。

業績に関する報告に関しては「Apple is doing great.」という言葉だけに留め、さっそく新製品発表に入る。tvOS、watchOS、macOS、iOSというAppleの4つの柱のOSだ。

AIスピーカの投入もあくまで独自路線

最後は、AIスピーカだ。前述の人工知能に取り組んでいるアマゾンやグーグルは、家の中に据え置き型で音声で操作するAIスピーカ、アマゾンエコーやグーグル・ホームをそれぞれ先行して販売している。アップルはこれらの製品に対して「ホームポッド(HomePod)」という製品で対抗する。しかし、そのアプローチは独自のものだ。

アップルがホームポッドを紹介するプレゼンテーションの中でもっとも強調していたのは、「ホームスピーカを再発明する」という点であり、Siriを搭載したスピーカであることは二の次だった。アマゾンもグーグルも、人工知能を家の中に設置できる点を強調していることから、アップルの取り組みは彼らとはまったく異なって見える。

アップルは、先行するアマゾンエコーやグーグル・ホームが、家の中に置かれてもさほど活用されていない点に目をつけていた。スマートホームはアップルが苦しんでいるとおり普及の段階にない。そのハブが活用されるわけもない。結果として、注目度が高いだけで、盛り上がっている市場とは言えなかった。そのため、アップルは、他社と違い、オーディオの品質を強調するマーケティングに出た。ストリーミング音楽にはWi−Fiスピーカが便利だが、他社製品の音質は期待できるものではなかったからだ。

ホームポッドは、高音質のワイヤレススピーカとしてまず家庭内に入り込み、なんらかのタイミングを見て変化させる、そんな心づもりだろう。iPhone 6に使われていたA8プロセッサを内蔵したことも、将来を見据えた取り組みだ。

watchOSの進化でさらに快適になったApple Watchを紹介する技術担当副社長のケビン・リンチ氏。Apple Watchはスマートウォッチ市場の中でもっとも売れている。

iMacのアップデートでも十分な内容だったが、さらにiMac Proを用意していた。

10.5インチのiPad Pro。数字的なインパクトはないものの、画面のリフレッシュレートが2倍の120Hzになったことが使い勝手を大幅に変えるマジック。

HomePodを紹介するワールドワイドマーケティング副社長のフィル・シラー氏。あくまで、人々にとって身近であるスピーカを切り口に、家庭へと入っていく点にAppleらしさが見える。

iPhone以外のハードウェアが向かう先

アップルの主力ハードウェアはiPhoneであり、2016年度からの踊り場を経験しているものの、堅調な売上高と収益を上げている。しかしiPadとMacについては、販売台数を減少させたり、市場の中での影響力を低下させるといった状況を脱するには至っていない。今回のWWDCでは、iPadとMacを刷新し、立て直しを計ろうとしている。iPadとMac、共通の敵をいかに攻略するかだ。

iPadは4年近くの長い下落トレンドの中におり、2016年3月に発表したiPad 9.7インチモデルで、ウィンドウズPCの買い替え需要を狙うという戦略を打ち出した。しかし、その後も、iPadの販売台数は前年同期割れを続けており、有効な浮上策とはなっていなかった。

ここで、iPadとMacを含む市場全体について、一度触れておかなければならない。現在iPadはクロームブック(Chromebook)とウィンドウズ、Macはウィンドウズの各プラットフォームと競合している。ウィンドウズがiPadとMacの共通の競合となっている理由は、マイクロソフトがサーフェス(Surface)シリーズやその他のメーカーのPCをタッチ対応とし、タブレットとモバイルノートの間を行き来する「2in1」や「デタッチャブル」といったトレンドを作り出したからにほかならない。

アップルはiPadとMacをかたくなに融合させない戦略を採り続けている。タブレットとパソコンを混ぜても中途半端なものにならない、というのがアップルの主張であるが、その中途半端なものが市場の中心となってしまい、アップルは打つ手がなくなってしまったともいえる。

また、Macは別の問題でウィンドウズPCとの競合に不利な状況だった。デスクトップ、ノートPCそれぞれの性能が、ウィンドウズPCの、特にゲーミングPCやモバイルワークステーションといったハイエンドマシンに比べて劣るため、プロフェッショナルへの訴求力が劣っていたのだ。

こうした現状でアップルが採った戦略は、iPadをよりMacやウィンドウズの操作性に近づけることと、Macの性能をより引き上げることの2点だった。

iPad+iOS 11の組み合わせは魔法のような体験

アップルはWWDCの基調講演で、iPadプロとiOS 11の組み合わせによって何を実現できるかを披露した。ディスプレイの反応速度向上によるペン操作の刷新と、ファイル管理の導入を行い、基礎的なポテンシャルを高めた。同時に、まったく新しい体験も導入したのだ。

iOS 11と組み合わせたiPadは、魔法のような操作性を実現する。今まで、パソコンでもタブレットでも、タッチパネル操作する際の指の数は1本が基本だった。複数の指でジェスチャを伝えることはあっても、パソコンのマウスのポインタの操作性を再現すべく、1本の指を主に使ってきたのだ。

しかし、iPadとiOS 11を組み合わせた環境では、1本の指を使いながら、空いたほうの手の指を使って、ファイルの複数選択を行ったり、ドラッグ&ドロップ先のアプリを開く作業を行ったりすることができるようになった。

細かい話だが2本の手を独立して操作に活用するアイデアは、今までのPCやMac、スマートフォンやタブレットの世界では、非常に新しい体験といえる。その分、慣れるまでは時間がかかるかもしれないが、慣れてしまえば、その魔法を日常的に使えるようになる。iPadの再起は、iOS 11による新しいコンピュータ体験を武器として取り組んでいくという、アップルらしい方針を示した。

iMacプロの登場は、一定の驚きを持って受け止められたが、一体型のワークステーションという存在へのニーズはいっそう高まるのではないか、と考えられる。ハイエンドを求めるユーザに対する、1つ目の答えを出し、来年のMacプロの刷新にも期待をつないだ格好だ。

ただ、iMacとMacBookプロの性能向上のペースを速めるという意思表示のほうが、より多くのユーザに対して、Macへの取り組み強化を知らしめるうえでは有効だったのではないだろうか。基調講演のVRデモは、iMacプロではなく、27インチiMacだけを使用して実現しており、プロを冠さないiMacでも、VRコンテンツ制作に十分対応できる点をアピールしていた。

なお、アップルは、MacでのVRについては、コンテンツ制作にフォーカスしていると話す。おそらくコンテンツ消費は、MacではなくiPhoneやiPadでの実現を想定しており、今年後半になんらかの新たな発表も期待できるのではないか、と考えられる。

MacBook Proは大きなアップデートを遂げ、VRコンテンツ制作にも十二分に使えるマシンということをアピール。

基調講演終了後に、プレス向けに設けられた新製品披露の場で一際異彩を放っていたのがiMac Pro。そのダークな佇まいは実にクールだ。

お披露目イベントでもっとも人だかりができていたのはHomePod。しかし、展示されていたのはモックで触るどころか、音も出なかった。

基調講演終了後はさまざまなデベロッパーとユーザをつなぐセッションが開催された。その模様は、アップルのデベロッパーサイトからも無料で視聴できる。https://developer.apple.com/videos/wwdc2017/

コミュニティと多様性を大切にする姿勢

ここまで、WWDCで示したアップルの姿勢、独自性について振り返ってきた。今回のWWDCで満足度が高かった理由は、ハードウェアの発表が多かったからという理由以上に、ユーザや開発者が「アップルはどうするのだろう」と疑問に思っていたテーマについて、1つずつ、ていねいに答えを出したことにある。

今回、アップルは、WWDCの開催地をサンフランシスコから、クパティーノの本社にも近いサンノゼに移した。サンフランシスコよりもゆったりとし、また暖かな気候が楽しめるサンノゼでのイベントには、ホスピタリティを感じる場面も数多くあった。5300人の参加者が75カ国から集まったが、参加した開発者に配られたのは、地元企業リーバイスの黒いジーンズジャケットとピンバッジ。ピンバッジは、自分の参加国の国旗のデザインがあしらわれており、WWDCで出会った他の国の開発者とバッジを交換して交流を楽しめる工夫がなされていた。

また、100人を超える学生などに対して、参加費を免除するスカラーシップが提供されていたが、中には日本の82歳の開発者、若宮正子さんの姿もあった。若宮さんと話したティム・クックCEOは、「我々はあなたに勇気づけられています」と敬意を表し、基調講演のあとにも、会場でその姿を見つけ、声をかけていた様子が印象的だった。

アップルは、中国市場の次に、インドや中東といった新たな地域でのiPhoneの普及拡大と、現地での開発者の育成に取り組み始めている。米国で生活必需品となったアプリが日本では通用しないように、その国で必要な便利なアプリは、その国の開発者によって作られる、という法則を見出しているからだ。

また、国や地域の拡がりと同時に、年齢の拡がりにも意識を向けている。今回招いた学生スカラーシップの最年少は、オーストラリアの10歳の少年だった。そして前述の82歳の若宮さんの参加は、シニア世代が、どのようにiPhoneを使い、どのようなアプリを求めているのかを知ることができる、数少ないチャンスとなった。

最新のソフトウェア技術ももちろんだが、あらゆる国、あらゆる世代と人々との対話こそが、製品、その上で動くアプリの価値を高め、アップルという企業を、世界最大のテクノロジー企業として存在させているのだ。