AI、つまり人工知能について講演をする機会が増えている。大学や企業をはじめ、年に1度、「スーパーアカデミア」というイベントで中高生向けに話をする広尾学園でも今年は「AIがもたらす未来」という講義をした。
スマートフォンがあらゆる産業を変え、我々の日々生活まで変貌させたように、人工知能もデジタルと無縁に見える一次産業を含む、すべての業界業種に影響を及ぼす。講義では弁護士助手をはるかに上回る能力で不正示唆のメールなどを見つけ出すFRONTEO社のLit i Viewシリーズや犯罪予測のPredPolといったAIサービス、匠の技を学び始めたロボット職人などすでに実績を上げている多様な業種の事例の紹介からいつも始める。
AIの進化は2011年が1つのターニングポイントで、ここから深層学習という人の脳に近い仕組みで学ぶものが増え、能力が飛躍的に向上した。その5年後の昨年はAIが「一線を超えた」と感じさせるニュースが多かった。囲碁のチャンピオンを打ち負かしたAlphaGoに始まり、医療画像から腫瘍を発見する力でも人間を上回り始めた。マイクロソフトやグーグルらは写真に何が写っているかをAIに理解させ英文で表現させるテストをしているが、ここでもマイクロソフトのAIが人の平均スコアを抜いた。画家・レンブラントの作品346点を学習し、現代人のモデルをあたかもレンブラントの新作風に描いてしまう人工知能も登場した。
AIが日常生活に浸透する時代には、我々の価値観は大きく変わることになるはずだ。一度、AIに抜かれてしまった領域で人間が復権することは、基本的には難しい。何しろAIは寝ることも飽きることもなく学習し続け、能力も老化するどころか指数関数ペースで伸び続ける。人間が知識量や記憶力で勝とうとしても無理だ。何しろ相手はインターネット上のすべての知識とつながっている。経験に基づく判断でも、あらゆる状況を想定しての先読み判断でも敵わない。
0から1を生み出すクリエイティブな発想ではしばらく人間が優っていそうだが、たとえばランダムに作曲、描画、服のコーディネートをさせておいて、その中からもっともウケが良い作品の傾向を学習させれば、人間のクリエイターより人気の作品を作ることができるだろう。
知識でも判断でもクリエイティビティでもAIに敵わなくなった人間は一体何を価値として生きていくのか。この人類史における一大転換点で、人間性とは何なのかを改めて問い直し、未来の世代に対してどんな価値を残していきたいのかを真剣に考え始める必要があると思う。
一昨年は中高生たちに「人間のほうが優っていることは何か」と質問したところ「思いやり」という答えが多かったが、本物かどうかは別として思いやりがあるように感じさせる対応ならAIのほうがうまくなる可能性がある。
今年の講義では、筆者の考えとして以下のような価値を挙げた。
1つは非効率さ。効率化はAIがもっとも得意とすることだが、必要以上の丁寧さといった非効率さはAIにやらせる価値がない。状況にもよるが、多くの場合、人はAIの手慣れ過ぎた(あるいは不器用さを演じた)接客より、本物の人間による対応に温かみを感じるはずだ。友人とAIが点ててくれたお茶が質量や成分が同じで区別できなかったとしても、誰が点てたかを聞いた瞬間に違った価値を感じるはずだ。個性を含めた多様性もAIが進む方向とは逆ベクトルの人間らしい価値になると思う。
今、我々はAI全盛期を生きる若い世代の教育を真剣に考えなければならない。無為な知識詰め込み型受験教育をいち早く止めさせ、より人間味の部分を育てる教育に切り替えるべきだろう。
Nobuyuki Hayashi
aka Nobi/デザインエンジニアを育てる教育プログラムを運営するジェームスダイソン財団理事でグッドデザイン賞審査員。世の中の風景を変えるテクノロジーとデザインを取材し、執筆や講演、コンサルティング活動を通して広げる活動家。主な著書は『iPhoneショック』ほか多数。