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競泳・日本代表を下支えするスパイスとしての「泳ぎ」の分析

競泳・日本代表を下支えするスパイスとしての「泳ぎ」の分析

スポーツアナリストの武器は、データと理論とデジタル映像。いわゆる左脳的分野だが、数字の羅列では効果はない、常にアナリスト独自の感性と熱意によって生み出されている。

独立行政法人 日本スポーツ復興センター
ハイパフォーマンスサポート事業
パフォーマンス分析(競泳) 博士(体育科学)

岩原文彦(いわはら ふみひこ)

8~18歳まで東京スイミングセンター所属の選手として活躍。自由形のスイマーとしてジュニアオリンピックにも数回出場し、優勝経験も持つ。アテネオリンピックでは北島選手のサポートチームである「チーム北島」の一員としてメダル獲得に貢献。現在は競泳日本代表メンバーのレース分析ならびに生理学的側面を中心に競泳の競技力向上に関する総合的なサポート活動を行う。

データ分析は魔法ではない客観的な視点こそが重要

2016年のリオデジャネイロオリンピックにおいて、日本の競泳チームは合計6つのメダルを獲得した。金メダル2つ、銀メダル2つ、銅メダル2つという堂々たる成績を残した裏には、トレーニングやレースの戦略立案をサポートするアナリストの存在があった。

競泳というスポーツでは今、どんなデータ分析が行われているのだろうか。その最前線を、日本スポーツ振興センターのハイパフォーマンスサポート事業部に所属する岩原文彦氏に聞いた。

レース中の映像から改善点を明らかにしていく

柴谷●岩原さんは、どのような経緯で競泳のアナリストになったのでしょうか。

岩原●水泳との出会いは、小学生のとき。東京スイミングセンターで水泳を習い始めました。ジュニアの頃はまあまあ成績も出していて、ジュニアオリンピックで上位に入ったこともありました。その後も水泳を続けていましたが、大学3年で競技者としての自分には見切りをつけ、コーチングを学び始めたんです。大学の水泳部の監督の紹介で、大学卒業後は東京大学の研究生として選手の血中乳酸値などを測定する研究を行っていました。その後、日本体育大学の大学院に進学し、本格的にコーチングを学びました。この頃、コーチングの現場を知るために、古巣の東京スイミングセンターに通っていたんです。そうしたら、そこに平井伯昌コーチとまだ中学2年生の北島康介選手がいました。

柴谷●北島選手も東京スイミングセンターに通っていたんですね。

岩原●はい。実は、北島選手とは出身高校も同じなんです。当時の競泳界では「科学的トレーニング」という言葉が流行し始めた頃で、平井コーチは私の研究の話にも熱心に耳を傾けてくれました。それで、北島選手の生理学的なデータを測定し、分析するサポートを始めたんです。私はそのまま大学院の博士課程に進んで、研究が忙しくなったためにコーチングに時間を割けなくなるのですが、北島選手のデータを測定するサポートは続けていました。そして博士課程を卒業する頃に、スポーツ医学・科学研究を専門的に行う「国立スポーツ科学センター(JISS)」ができ、そこの研究員になりました。それまでのサポートは専門分野外のことも手がけていて、効果があるのかどうか確信が持てていなかったんです。でもJISSに移ってからは、さまざまな専門家と連携しながら充実した科学的サポートができるようになりました。

柴谷●科学的サポートというのは、どういうことをするのでしょうか。

岩原●競泳の場合、大きく分けて2つあります。1つは生理学的側面からのサポート。練習中やレース後の生理学的指標を測定し、それをもとにトレーニングメニューを考えたり、泳ぐスピードを決めたりするというものです。2002年からは日本代表チームの高地トレーニング時に、血液検査や起床時の動脈血酸素飽和度、心拍数を測るなどのサポートもしていました。そしてもう1つが、バイオメカニクス的な動きのサポート。これが今回お話するデータ分析の中心になる「レース分析」「ストローク分析」といわれるものです。

柴谷●まず、「レース分析」から教えてください。

岩原●レースを、スタート、ストローク、ターン、フィニッシュの4局面に分類し、各局面における所要時間や通過時間を計測するんです。ストローク局面、つまり普通に泳いでいる局面では、泳ぐ速度や1ストロークに要する時間(ストロークタイム)、および1ストロークでどれだけの距離を進んだか(ストローク長)などの情報も出します。ストローク局面は、15メートルから25メートル、25メートルから35メートル…と、10メートル刻みで計測しています。どんな選手もだいたい10メートルは3ストローク以内で泳ぐので、その3ストロークにかかった時間の平均からストロークタイムやストローク長を算出するんです。

柴谷●どのように測るのですか?

岩原●レース分析は基本的に、観客席の上部に、毎秒60コマ撮影できるビデオカメラを持ち込み、その録画映像をもとに行います。競泳は、スタート時に合図としてフラッシュが光るんです。その光を映しておいて、その光った時点から何コマ後に15メートルの地点を頭が通過したか、というふうに時間を計測します。ストロークについては、一方の指先が入水し、同じ側の手が次に入水するまでを1ストロークとしています。

柴谷●記録はどのようにするのでしょうか。映像を見ながら手入力となると、大変そうですね。

岩原●半分自動、半分手入力という感じですね(笑)。映像を表示しつつ、フラッシュが光った時点を0として、記録したいポイントでキーを押すと、その数値がエクセルに入力されるというソフトウェアがあるんですよ。これは、日本独自で開発したものです。ストローク長などの計算はエクセルのマクロを組んであるので、自動的に算出されます。

柴谷●計測、算出する項目も多いですし、選手が何人もいるとすごいデータ量になりますね。入力にはどれくらいの時間がかかるんですか?

岩原●実際のレースの1.5~2倍の時間で終わります。4分のレースだったら8分くらいでしょうか。もう10年以上やっていますから、慣れました(笑)。

柴谷●このデータから、どういったことがわかるのでしょうか。

岩原●どういうレース展開だったのか、ということがわかります。前半はこれくらいのストローク長だったけど、後半はテンポが変わってこれくらいのストローク長になった、とか。そのデータをもとに、どんなレース展開ができたら理想なのかを考え、泳ぎを修正していく。また、スタート局面の評価などはわかりやすいですね。ある選手がスタート局面に6.0秒かかっていたとします。でも、世界のトップ選手はスタート局面に5.5秒しかかかっていない。それがわかったら、0.5秒をどうにかして縮められないかと考えるようになる。そういう分析です。

柴谷●では、ストローク分析とはどういう分析ですか。

岩原●これは水中カメラの映像を使って、さらに細かくストロークを見ていくものです。競泳の選手の泳ぎを傍から見ていると、ストローク中はすーっと前に進んでいるように見えますよね。でも、実は1ストロークの中でも速度は変化しているんです。クロールは一番変化が少なく、平泳ぎが一番加減速が大きい。足をギュッと引くところで、ほぼ止まっているような時間があります。

柴谷●速度が落ちるんですね。

岩原●分析の際は、1ストローク中の速度変化と水中カメラの映像を照らし合わせます。加速しているときにはどういう動き・姿勢で、減速しているときにはどういう動き・姿勢をしているかということがわかります。では、加速している時間を増やし、減速する時間を短くするにはどうすればいいか。対策が具体的に見えてくるんです。

Data1≫勝てる選手の特徴とは?

女子50メートル自由形における、3選手のデータをまとめた表とグラフ。全体のタイムだけ見ると、アリアナ・ヴァンダープール=ウォレス選手が速い。しかし、リオデジャネイロオリンピック女子100メートル自由形で金メダルをとったシモーン・マニュエル選手は他2人に比べ、ストロークタイムが長く、ストローク長も長い。そして、泳速が最初から最後まであまり落ちないということがわかる。1つのレースを細分化して分析していくと、「勝てる」選手の特徴がみえてくる。

ライバルの泳ぎを分析しレースの主導権を握って優勝

柴谷●こうしたデータ分析の活用で、もっとも成果が出た選手は誰ですか。

岩原●やはり、北島康介選手ですね。2001年にJISSが設立され、それから初めて開催された2004年のアテネオリンピック。この大会で平井コーチは、すごく面白い分析の活用をしていました。北島選手は、2003年の世界水泳選手権の100メートル平泳ぎ、200メートル平泳ぎで世界記録を更新していたんです。だけど、アテネオリンピックの3週間前にその記録が破られてしまった。破ったのはアメリカのブレンダン・ハンセン選手。しかも、この少し前に北島選手は膝を痛めて泳げない状態だった。どう考えても、オリンピック時点でのコンディション、実力ともにハンセン選手のほうが上なのではないか、と言われていました。ここで、平井コーチはデータを使うんです。ポイントは、競泳はけっこう隣のコースの選手の動きに引っ張られるということ。

柴谷●誰が隣で泳ぐかで、レース結果が変わるんですね。

岩原●決勝では二人が隣で泳ぐだろうと予想できた。それを、平井コーチは巧みに利用しました。ハンセン選手と北島選手は、オリンピック決勝まで隣で泳ぐことはありませんでした。でも横で泳ぐとどういう展開になるかを、二人のレース分析の結果を比較してシミュレーションしたんです。

たとえば、スタート局面のタイムを見ると、北島選手のほうが速かったんですね。だとしたら、相手はきっとまずいと思って追いついてくるだろう。なぜなら、北島選手は2003年の世界選手権で、後半すごく追い上げて勝ってるんです。それを知っているハンセン選手は最初に差をつけられると後半抜かせないから、ペースを上げて追いつこうとする。そう予想したうえで、北島選手には「序盤は、相手を気にせず大きなストロークで泳ぎなさい」と指示しておく。ターンは向こうのほうが早いかもしれないけれど、そこはぐっと我慢して自分のペースを保ち、最後の20メートルで一気に行け、と。

平泳ぎというのは、ストロークのタイミングが1回ズレただけでかなりタイムに影響が出るんです。追いかけられるなどして、自分のペースを乱されると途端にダメになる。事前にレース展開を予想することで北島選手の動揺を防ぎ、逆に相手を撹乱したわけです。

柴谷●すごいですね! 水泳は個人競技なのでフォーム改善などにしかデータが使われていないのかと思っていました。でも、対戦相手の攻略方法を考えるのにも役立つんですね。

岩原●こんなことをするのは、平井コーチくらいですけどね(笑)。2008年の北京オリンピックでも、平井コーチと北島選手は予選、準決勝のデータをレース後すぐに確認して、調整をしていました。予選、準決勝ではあまりいいタイムが出なかったんです。レース分析の結果を見ると、ストローク長が短い。かき急いで、ピッチの早い泳ぎをしていました。決勝は24時間後です。それまでに泳ぎを立て直すために平井コーチが北島選手に言ったのが、「勇気を持って、ゆっくり行け」という言葉でした。

柴谷●それで見事、59秒の壁を破る世界新記録を出して金メダルをとったんですね。こうした事前のデータから選手の心理状態を把握し、それに沿った情報を出すということはラグビーにも応用できそうです。

アナリストはあくまで脇役 コーチの意思決定に役立てる

柴谷●データ分析の活用が本格化したのは、2001年にJISSが設立されてからなのでしょうか。

岩原●そうですね。私が国際大会に同行して映像を撮るなどし始めたのが、2003年の世界選手権です。その当時は、北島選手と平井コーチ、あともう一人のコーチがレース分析を見るくらいでした。最初は主に日本選手権でデータをとっていたんです。でも、北島・平井コンビが海外大会のデータも欲しいと言い始めて、撮影しに行くようになった。すると、分析を参考にするということが広まってきて、今はすべての競泳コーチがデータを見ています。

柴谷●それが日本競泳界の技術と実績向上にも役立っているのでしょう。

岩原●実績に結びついているかどうか、断言するのは難しいですけどね。でも、分析の文化が浸透してきたという実感はあります。

柴谷●岩原さんはコーチングを学ばれたあとに、データ分析の世界に足を踏み入れた。コーチの役割を理解したうえで、改めてアナリストという職業はどういう立ち位置だと思われますか?

岩原●アナリストは、コーチに対して情報を出すのが仕事であると認識しています。それをもとにどうするかは一緒に考えますが、最終判断を下すのはコーチです。

柴谷●それでも、コーチ的なアドバイスをしたくなるときはありませんか? 私は時々そういう気持ちになるんですけど…。

岩原●わかります。気心の知れた仲のコーチには、ポロッとアドバイスをすることもありますね。でも、基本的には一線を引いています。競泳はコーチと選手の間が密な競技ですから、コーチを飛び越えて選手と直接データのやりとりをすることもありません。

柴谷●ラグビーもアナリストから選手にデータを渡すことはありません。まれに、コーチとコンセンサスを取ったうえで直接選手とやりとりすることもありますが。選手の側も、いきなりデータを見せられてもよくわからないですしね。

岩原●データの見方から理解してもらう必要がありますね。コーチに対してもそうですが、データ分析を導入し始めた頃は、基本的なところから意義を伝えて、少しずつわかってもらうようにしました。私たちの言うことは、時にコーチがこれまで信じていたことを覆すことにもなる。否定したくなるのは当然なんです。でも私達の言うことが正しい、と思う場面がいくつか出てくると、一度否定したことも受け入れてもらえるようになる。一つ一つ確かな情報を渡しながら、データの必要性に気づいてもらうことが大切です。アナリストは、スパイスなんです。無理に使わなくてもいい。でも適切に使えば、料理がぐっとおいしくなるかもしれない。量や使うタイミングはコーチにお任せします。

柴谷●最後には、信頼関係ができているかどうかが物を言いますよね。競泳とラグビーは競技のタイプとしてはまったく違うものですが、岩原さんのお話はラグビーにも応用できるのではないかと思いました。現在ラグビーではチーム全体のデータを見て、次の試合の戦略を立てる、そういうかたちでデータを使うことが多いんです。でも個人のデータを各試合、もしくは年単位で見比べて、個人のパフォーマンスを上げるという活かし方もある。そう気づかされました。

対談を終えて

岩原さんは、初めて仕事をするコーチや選手に「データ分析は魔法ではありません」とあらかじめ伝えると言っていた。そう、データは万能ではない。うまく使ってはじめて、結果につながるものだ。そして、データを活用してもらうためにはコーチおよび選手と信頼関係を構築することが不可欠である。いくらデータに基づいているからと言って、正論を押しつけるようなことをしては話を聞いてもらえない。このアナリストの立ち位置を「スパイス」に例えるのは、言い得て妙であると感じた。

文・柴谷晋(しばたに すすむ)

1975年生まれ。上智大学外国語学部卒、東芝ブレイブルーパス・パフォーマンスアナリスト。広告代理店勤務、英語教員、大学ラグビー部コーチ等を経て、2015年より現職。ノンフィクションライター、日本聴覚障がい者ラグビー連盟理事としても活動。著書『エディー・ジョーンズの言葉』(ベースボールマガジン社)『出る杭を伸ばせ』(新潮社)、『静かなるホイッスル』(新潮社)WEBサイト:susumu-shibatani.com