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“すべての人”を意識させるAppleの「アクセシビリティ」

著者: 松村太郎

“すべての人”を意識させるAppleの「アクセシビリティ」

Final Cut Pro X × Accessibility × Sady Paulson

【開発】アップル 【価格】3万4800円(税別) 【カテゴリ】Mac App Store>ビデオ

韓国・ソウル生まれ。ファイナルカットプロの認定資格を持つビデオエディター。脳性麻痺の障がいを持つが、Mac上でアクセシビリティ機能である「スイッチコントロール」を使って、ビデオを編集している。

製品の核にある信念

アップルが新たに起ち上げた「アクセシビリティ」のWEBサイトには、アップルのデバイスやソフトウェアを活用して、いかにして障がいを持つ人々が日々の暮らしを送っているかが紹介されていた。

WEBサイトでは、のちほど紹介する脳性麻痺を乗り越えてビデオエディターとして活躍する女性や、車椅子のユーザ、iPhoneを他人との会話に役立てているユーザ、そして写真に写っているものや人の表情を言葉で伝える機能を楽しむユーザの話が紹介されている。

ここで挙げた人々は特別なハードウェアやソフトウェアを使っているのではない。アップルが販売する製品をそのまま用いている姿が強調されている。我々が日々使っているMacやiPhoneが、あらゆる人々のための製品として利用できる点をアピールしているのだ。

アップルは、製品を設計する段階から、このアクセシビリティを意識しなかったことはないのだという。ティム・クックCEOがたびたび強調する「すべての人のためのプロダクトを作る」という信念が貫かれており、特別なデバイスを極力避けながら、あらゆる状況の人々が毎日使うことができる製品作りを目指している。

たとえばアクセシビリティの中の「ボイスオーバー」機能は、目の不自由な人々が、目視による操作が前提になっているタッチスクリーンを扱えるよう補助してくれる。この延長線上にある音声アシスタント「Siri」は、より多くの人々に音声での操作を提供する、スマートフォンの鍵となる機能へと発展してきた。

我々が日々の歩行やエクササイズの計測に利用しているアップルウォッチも、ソフトウェア的にアルゴリズムを変えることで、世界で初めての車いす利用者のカロリー計測が可能なデバイスとして利用できるようになった。

車いすでの移動の計測では、腕の動きに応じて3種類のストロークを検出し、それぞれのカロリー計算のアルゴリズムを適用するという。このノウハウは、腕の動きから泳ぎ方を検出するスイミングワークアウトとの共通性を見出すことができる。このように、アクセシビリティの問題解決は、製品の可能性を拡げる手段として、有効な研究開発をもたらしているとみることができる。

制限は「時間」だけになった

筆者は、先述のアクセシビリティのWEBページで紹介されている、サディ・ポールソン氏に話を聞くことができた。ポールソン氏は韓国・ソウル生まれで、脳性麻痺の障がいを持ち、身体が不自由な生活を送っている。米国に渡り、Macに出会ったことで、世界が一変した経験を話してくれた。

「テクノロジーは私の生活の一部です。iPhoneでメールやフェイスブックを通じてコミュニケーションを楽しみ、家族や友人と話をし、そしてMacでファイナルカットプロ(Final Cut Pro X)を用いてビデオ編集を行います。これらのデバイスによって、まったく新しい世界が私の前に開けてくるのです。私にとっての制限は、もはや『時間』だけになりました」

ポールソン氏は、コンピュータやスマートフォンを、マウスやキーボード、そしてタッチスクリーンを使って操作することができない。しかし、アップルのデバイスとOSに搭載されたアクセシビリティ機能は、スイッチを用いて操作する方法を提供している。そこで、車椅子の背もたれの上部にスイッチを取り付け、左右に身体を傾けて頭でスイッチを押すことで、Macのコントロールを自在に行えるようにした。

ポールソン氏は、Macを用いて、通信制のフルセイル大学シネマトグラフィー学科を修了し、ビデオエディターとしてのキャリアを歩み始めた。スイッチコントロールで操ることができるファイナルカットで作り出される作品から、彼女の障がいのことを推し量ることはできない。クライアントによっては、障がいのことを知らない人もいるという。

ポールソン氏は、自分のビデオ制作のスキルを、ほかの脳性麻痺の患者を鼓舞したり、障がいを越えてチャレンジする人々に向けて活かしていきたいと語る。いかにテクノロジーが障がいを持つ人々の能力を高めるか。そんなショーケースになりたいと、日々活動している。

多様性と共存の社会性

アップルはこれまでも、地球環境への配慮、プライバシーとセキュリティなど、社会的責任をいかに果たしていくか、という発表を基調講演ごとに行ってきた。たとえば地球環境問題であれば、アップルの取り組みの真似を、より多くの企業がしてほしいとすら表明してきた。プライバシーとセキュリティの問題が起こった際には、捜査当局と対峙し、ユーザを守る強靱な姿勢を見せたこともあった。

アクセシビリティについても、「すべての人のための製品作り」を進めるうえで重要な、守るべきテーマである。同時に、これはユニバーサルデザインの世界でも語られることではあるが、アクセシビリティを製品作りの中核に据えることで、より多くのユーザにメリットがある機能やデザインを実現できるという強みもあるのだ。

ポールソン氏は、スイッチコントロールに対応するMacで、自分のビデオエディターとしてのキャリアを切り拓いた。一方で、こんな一面も見せてくれた。iPhoneでスイッチコントロールを実現したことで、友人や家族が楽しそうに遊んでいたゲームアプリ「アングリーバード」を自分もプレイすることができ、楽しめるようになった、と無邪気に笑っていたのだ。

その笑顔を見たとき、テクノロジーが解決しているのは娯楽も含めたあらゆる生活だということ、同時にテクノロジーがもたらす豊かさとは何か、を深く考えさせられるきっかけとなった。

皆が使うデバイスだから

我々が日常的にアップルのデバイスを使っている限りにおいて、必ずしもアクセシビリティ機能や、アクセシビリティ機能から派生した人気の機能が何であるかを意識する必要はない。

難しいのは「バランス」である。おそらく、より用途を特化することで、アクセシビリティの機能を高めるデザインを施すこともできるだろう。しかしそれでは、一般の人々が使うデバイスではなくなり、すなわち価格の上昇を招く。同時に、アクセシビリティ機能が必要な人にとっても、欲しいものではなくなってしまう。

そして、ファイナルカットプロやアングリーバードのような、一般のデバイスで動作するソフト/アプリが、特別なデバイスだとサポートされないかもしれない。残念ながら、それではほとんど意味がないのだ。

なるべくさりげなく、でも確実に動作する、そんなアクセシビリティの機能の実装が求められており、それを成功させているのが現在のアップル製品といえる。だからこそ、アップルはアクセシビリティのWEBサイトを起ち上げ、まだその機能を知らない人にとって有益な情報を提供する努力を務めているし、アクセシビリティのWEBページを開いたことがないユーザにとっても、その機能の存在を知らせているのだと推測できる。

皆さんのMacやiPhone、iPadにも、同じようにアクセシビリティ機能が備わっている。その機能によって、皆さんと同じようにデバイスを利用できるようになる人々の存在があり、彼らのことを決して見捨てずに取り組んでいることを、アップルは伝えようとしているのだ。

10月27日の新製品発表会の壇上に立つティム・クックCEO。そこで、アクセシビリティのWEBサイト起ち上げについて、説明があった。日本語版は11月8日に開設されている。【URL】http://www.apple.com/jp/accessibility/

脳性麻痺で身体が不自由なポールソン氏は、車いすの背もたれ上部に2つのスイッチを用いて、iMacで動作するファイナルカット・プロでビデオ制作を行っている。

スイッチコントロールでファイナルカットプロを操るポールソン氏。macOSには、1つもしくは2つのスイッチでマウス操作を代替する機能が備わっている。

ポールソン氏は、テクノロジーによって、障がい以外の自分を表現し、また見てもらえるようになったと振り返る。ビデオ制作のスキルを、同様の症状に苦しむ人々のチャレンジに結びつけたいと語る。