ノーベル賞受賞で改めて注目を集めたボブ・ディランは、青年期のスティーブ・ジョブズが多大な影響を受けた1人だ。青年ジョブズが信奉していたもう1人は、「THE WHOLE EARTH CATALOG」という雑誌をつくったスチュアート・ブランド。2人はいずれも「カウンターカルチャー(対抗文化)」の象徴的存在である。
ジョブズの青年期といえば、いわゆる米ソ冷戦の真っ只中。どちらかの大国が核兵器のボタンを押せば、その瞬間に世界が終わると恐れられていた。未来に夢を抱く若者の多くは無益な戦争に反対したが、国家という巨大システムはそんな国民一人一人の希望とは無関係に動く。それに反旗を翻し、サブカルチャー(下位文化)に逃避をする若者も大勢いたが、その一方でメインストリームカルチャー(主流文化)に取って代わろうとする者もいた。たった1人でも、強い意志や頭脳、世界に自分の声を届ける道具やメディアを使えば世界を変えられると信じて主流文化と戦ったのが対抗文化だ。
ボブ・ディランは詩の力で、ジョン・レノンは歌と社会的活動でそれを行った。そしてスチュアート・ブランドは「道具への手引き」をスローガンにした雑誌を出した。こうした人々の歌や活動はコミューンを作り、政府任せにはならない自活した暮らしを目指すヒッピーたちの心を支えた。
そしてジョブズが目をつけたのが個人のためのコンピュータ、パーソナルコンピュータだった。当時、コンピュータは冷徹な権力側を象徴する機械だった。1つの部屋を埋め尽くす巨大コンピュータを利用する人といえば軍関係のイメージが強く、米国最初のコンピュータ、ENIACも弾道計算のために開発された。だが、そのコンピュータが個人でも使えるようになれば、人々の能力を増幅し、人類を前進させてくれるはず、と信じたのがジョブズだった。
彼は’95年頃に受けたインタビューで、人は大人になるにつれ、与えられた環境はそういうもので変わることはないからその中でつつましく生きろと教え込まれてしまう。しかし、自分の人生を囲んでいる壁の多くは、決して自分より頭が良いとは限らない他の人たちによってつくられたものであって、実は変えることができる。それを知っているか知らないかで人生は大きく変わる、といったことを語っている。ジョブ
ズはまさにそんな人生を変える道具を1人でも多くの人々に届けようとした。
実際、その後、アップルやそれ以外の会社が発売したパソコンやそれに続いたスマートフォンは世の中に大きな革命をもたらし、今では衣食住や学び方、エンターテインメント、交通など社会のすべてを変えた。しかし、私はだからといって、今の世の中が本当にジョブズが望んでいたように変化をしたとは思えない。
確かに世界のどこにいても美しい風景を切り取り、世界に発信できるスマートフォンは浸透し、たった140文字の言葉や1枚の写真で瞬時に世界に訴えかけられるソーシャルメディアも一般化した。
しかし、そうした道具をポケットに入れた大勢の人たちの精神はというと、昭和のままの慣習をひきずった会社の、忙し過ぎる毎日に押し殺されて、たまの休みを楽しみにするくらいしか望むことがない人も少なくない。たまに高い志を持って同士を集めようとネットで世の中に訴えてみても、そうした姿勢を阻む「意識高い系」などの妬みも混じったネット用語の茶々が入る。
もう21世紀になってかなりが経ち、自らを解放する道具は手に入ったのに、その道具を使って解放すべき精神の準備がまだまだなのかと思う場面が少なくない。
日本だけの問題ではないが、いずれこうした状況を変えるブレイクスルーが出てくるのだろうか。それを変えるのは教育だろうか、道具だろうか、それとも次のボブ・ディランとなる詩人の歌なのだろうか。
答えは風に吹かれるままだ。
Nobuyuki Hayashi
aka Nobi/IT、モバイル、デザイン、アートなど幅広くカバーするフリージャーナリスト&コンサルタント。語学好き。最新の技術が我々の生活や仕事、社会をどう変えつつあるのかについて取材、執筆、講演している。主な著書に『iPhoneショック』『iPadショック』ほか多数。