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レギュレーション

著者: 藤井太洋

レギュレーション

イラスト/灯夢(デジタルノイズ)

シンガポールのカペル埠頭(ピア)では白いコンテナが真上から日射しを浴びていた。扉のアップルロゴは、熱帯の日光でひび割れていた。

「中身は話したよね。あげるよ」

トビーが開いた扉を指の背で叩く。塗膜がぱらりと落ちてきた。カートンボックスをひとつ抜き出して変色した封シールをはがすとApple独特の香りが立ちのぼる。

「コンテナ一杯のUSBパワーアダプターか。ありがたい」

「G型のね」とトビーは顔をしかめる。

トビーが指摘したのはACプラグの形だ。G型、通称UK仕様の三つ叉プラグが使えるのはイギリス──いや、イングランドだけになった。好事家向けのレストアをしてるおれだからこそ金にできるが、ゴミ同然の代物だ。トビーはおれの肩越しにパッケージを一つ抜いた。

「見ろよハチヤ。ジョニーはこんなアダプターですら美しく作った──」

「それで仕事は?」おれは詩を読みかけたトビーを遮った。無償(タダ)なわけがない。

トビーは一瞬だけ不服そうな顔をしてみせてから、コンテナに顔を向けた。

「この中に、EU標準型のACプラグのアダプターが混ざってる」

「EU標準プラグ?」おれはコンテナのボルトシールを確かめた。「待てよ。このコンテナは二〇一六年に封印されてるぞ。EU標準プラグが始まったのは二〇二〇年、五年前だ」

「試作品なんだ」と言ったトビーはコンテナの奥を透かすように睨んだ。

「行き先はロンドンだった。EU標準の書類を見た税関のオフィサーが先走って突っぱねたせいで、荷物は届かずここに戻ってきた。二〇一六年の六月二十三日だよ」

「Brexit(UKのEU離脱)か」

トビーは頷いた。

「デイヴの依頼品だったんだ」

当時のイギリス大統領を、親しい相手にしか許さなかったニックネームで呼んだトビーはまっすぐ顔を向けて言った。

「箱を探し当てたら、チップを有効化してくれ。ついでに、茶にも付き合ってくれると助かる」

三段のケーキスタンドが右から回ってきた。おれはトビーに教えられたとおりにジンジャークッキーを一枚とりあげたが、指先だけでもう一枚を拾い上げ、一枚に見えるように重ねて皿に載せた。

ドイツ訛りの英語が飛ぶ。

「あら、あなた器用なのね」

「え、ええ。メルケルさん。一枚だと間が持たなそうで」

「アンゲラでいいのよ」と笑った元ドイツ首相はカロリーの高そうなケーキをとって痩身の老人へスタンドを回した。

「ニコラ、糖尿はよくなったの?」

「誰だ。そんなガセネタを流すのは」

フランス語の悪態が飛ぶ。

「バラクだったかしら──」

会話から体よく追い出されたおれは、クッキーをかじり、向かいで茶の香りを嗅ぐトビーを睨んだ。十六名もの元国家元首を集めておいて、どうしてああも平然としていられるのだろう。

ティーセットが一周したところで、トビーが立ち上がった。

「お集まりいただきありがとうございます。わたしはトビー・早志(はやし)。デイヴの代理人です」

見舞いの言葉が席から上がる。礼を返したトビーはボーイを呼んで新しいケーキスタンドを頼んだ。

白いUSBアダプターの載ったスタンドに客たちはどよめいた。

「二〇一六年、デイブがみなさんに見せるはずだったものです。試作品ですが、サーの称号を持つジョニーが自ら仕上げています」

見慣れたEU標準ACプラグだが、端子の絶縁部が亜鉛メッキの中に、段差なく埋め込まれている仕上がりは確かに一級品だ。美しいプロダクトだった。

トビーはケーキスタンドを持って歩き、ひとつひとつ手渡していった。

「当時のスマートフォンをお持ちの方はどうぞ繋いでみてください。招待状に書いてありましたよね」

アンゲラがしわくちゃの唇を尖らせた。

「zu spät(ツ シュペト)(今さら)?」

「あのとき、なくてよかったですね」

トゲのある言い方へ元元首たちは顔を上げる中、トビーは続けた。

「Apple製のEU標準ACアダプター。イギリスがEUに残留することを決めた上で発表されていれば、欧州の結束は高まったことでしょう。EU標準プラグの普及も早まったはずだ」

トビーはアダプターを指でついた。

「でも中身が問題ですよ。イスラエルの企業が供給する内部の識別チップはiPhoneとAndroid端末情報を盗み、スマートメーターのPLC(電力線通信)でユーロポールへ送る。EUの結束を祈って一肌脱いだジョニーとティムをよくも騙してくれましたね。アンゲラ、あなたが非難したNSAの盗聴班とやってることは変わらない」

黙っていたアンゲラが口を開いた。

「……あなた、デイヴの代理人じゃなかったの?」

「代理人ですよ」トビーは胸に手を当ててお辞儀した。「彼は辞任後、その危うさに気づいたんです」

「不愉快だ!」席を蹴るように立ったニコラがトビーへ詰め寄った。「識別チップは対テロの重要機器だ。登場が五年遅れたおかげで、どれだけのテロがあったと思う!」

「識別だけですか?」トビーの声にニコラが顔を引きつらせる。

「ハチヤ。出番だよ」

十七名、全員の顔がこちらを向いた。

おれは打ち合わせ通りに切り出した。

「パッケージを溶かして、チップを読むと、識別以上の機能が含まれていることがわかりました」

おれはアンゲラのiPhone 6をテーブルからとりあげてアダプターから伸びるケーブルに刺した。

「なにをするの!」

てのひらにiPhoneを置いてロックボタンを押し、画面をテーブルに向けた。五秒ほどでアップルのロゴが現れた。ロゴの下を伸びるバーが途中で止まり、画面が黒くなる。文字列が流れてくる。シングルユーザーモードでの起動だ。

「ルートの奪取です。どんなプログラムでも仕込むことができますね」

ニコラが震える杖を向けた。

「……できなかったはずだ。我々がいくら要求してもAppleはバックドアを搭載しなかった」

トビーが苦々しげに口を開いた。

「やっぱり、知ってたんですね」

おれは$を点滅させるiPhone 6をずらした。その奥からもう一枚のiPhone 6が現れる。

「今みせたのは、僕の用意したiPhoneで再生した動画です。iPhoneにバックドアはありません」

おれがテーブルに戻したiPhoneをアンゲラは両手で握りしめた。

「ただ、あなた方の要請したバックドアのあるスマートフォンは、乗っ取ることができるわけです。ぼくはなんの情報もなしにここまで辿り着きました。テロリストにもこの方法が使えたんです」

トビーがテーブルを見渡した。かつて元首だった人々が顔を背けて唇を噛みしめる。

沈黙を破ったのはアンゲラだった。

「なんで私たちを集めたの。お説教?」

「いいえ」トビーは言った。「美しい設計を汚したあなたがたが許せなかっただけですよ」

藤井太洋

2012年、セルフパブリッシングの『Gene Mapper』でデビュー。『オービタル・クラウド』で第35回日本SF大賞、第46回星雲賞日本長編部門を受賞。