WWDCを最大限に楽しむ
今年もアップルの「ソフトウェアの祭典」とも呼ぶべきWWDC(世界開発者会議)の季節となった。今年は現地時間6月13日から17日の間に開催が決定した。このイベントはOS XやiOSといったアップルのプラットフォーム上で動作するソフトウェアを開発するユーザをターゲットとして1995年から毎年行われており、アップル界隈のみならず、IT業界を代表するビッグイベントの1つとしても有名だ。
WWDCはソフトウェア、中でもOS(オペレーティングシステム)を中心としたトピックを扱う。そのため、ほぼ必ずといっていいほど次期リリースバージョンに関する情報が公開され、ベータ(開発途上)版が配布される。最初のセッションとなる基調講演(キーノートスピーチ)では概要が公開されるため、メディアからも注目が高いのは多くの読者諸氏にとってはもはや「常識」といってもいいだろう。
また、アップルは「サプライズ」を含んだマーケティング戦略を好む傾向にある。そのため過去にはWWDCのタイミングに合わせて初代iMac(1998年)やPower Mac G5とiSight(2003年)、インテルCPUに移行したXserveとMacプロ(2006年)、iPhone 3G(2008年)、レティナディスプレイに対応したMacBookプロ(2012年)、そして大幅にデザインチェンジしたMacプロ(2013年)といった新製品を発表したこともあった。
しかし、ここ数年はハードウェアの発表もなく、OSに関しても2~3カ月程度で正式版がリリースされるため、一般ユーザにはさほど大きな意味を持つイベントだと感じられなくなってしまったようにも見受けられる。だが、その一方でWWDCの参加希望者は増え続けており、4月下旬頃には参加当落の悲喜こもごもがネット上に溢れるなど相変わらずの盛況ぶりだ。
実はWWDCで行われるセッションは、単に次期OSの機能解説を行っているだけではない。さらにその先に予定されている機能や仕様といったロードマップなど、アップルが唯一「未来」について言及するイベントという意味で重要な価値を持つ。本稿ではそのWWDCを開発者ではない人でも存分に楽しむためのノウハウを伝授しよう。
アップルデベロッパーサイトのWWDCページに掲載された2016年のデザイン。コードに書いてある、「Hello love at first swipe」が「ティンダー(Tinder)」、「Hello other side of the road」が「クロッシーロード(crossy Road)」、「Hello driver, fast as you can」が「ウーバー(Uber)」といったアプリとかけているのではないかと予想できる。
WWDC 2016の2つの会場
WWDC 2016の初日は「ビル・グラハム・シビックオーディトリアム」で行われる。昨年9月に行われたスペシャルイベントと同じ会場だ。収容人数は約7000人とされ、前回のイベントと同様、大きく内部を改造すると見られる。
WWDC 2016の初日以外の催しはモスコーンウェストで行われる。モスコーンサウス、モスコーンノースを加えた3つの建物で構成される「モスコーンセンター」の一建物であり、ウエストは3階建てで会議室スペースとロビー部分がある。
ストリーミングでチェック
WWDCで提供されるプログラムは「セッション」と「ラボ」の2つに大別される。セッションはその技術を担当するエンジニアやチームマネージャーなどのプレゼンやデモでその概要を学ぶためのものだ。複数の部屋で同時に開催されるが、提供される内容は細かく、カテゴリやトピックに分かれて100以上と、わずか4日間という限られた時間の中で興味のあるすべてのジャンルを1人でカバーするのは到底不可能なボリュームだ。
そこでアップルは、WWDCで開催されるすべてのセッションビデオをオンラインで配信している。セッション参加者はもちろん、それ以外の開発者向けにも公開されており、無料のユーザ登録を行っておけば誰でもこの内容を見ることができる。
基調講演や人気の高い一部のセッションはライブストリーミングで行われるほか、収録後速やかに配信が開始される。iOSデバイス向けに提供されているアプリ「WWDC」で簡単に視聴できるが、MacからWEBブラウザでWWDCのサイトにアクセスしても同様に視聴が可能だ。この場合にはセッションビデオやスライドをPDF形式でダウンロードできたり、関連する資料やサンプルコード、ソフトウェアなども入手できる。
セッションはすべて英語で行われるが、担当するスピーカー社員は事前にトレーニングを受けており、話す速度や滑舌は聞き取りやすく、語彙も間違えにくいものが選ばれているため、スライドと一緒に見ていれば大意はほとんど掴めるレベルだろう。加えて、ビデオにはクローズドキャプション(字幕)が用意されているので、細かなニュアンスを確認したいときには併用すれば問題なく内容を理解できるはずだ。
一方、ラボではセッションの内容をエンジニアチームにサポートしてもらいながら実際にその新機能を試すことができる。このブースでは時間ごとに異なるチームのエンジニアたちが滞在し、実地で学びながら、疑問点やリクエストをその機能を実装している本人と直接話すことができるという点でも開発者にとっては極めて有意義なプログラムだ。
基調講演の視聴方法
Macで視聴する
Macではアップルのライブストリーミングサイトからリアルタイムで視聴することができる。なお、WEBブラウザはサファリからのみ視聴可能なため注意が必要だ。
iOSデバイスで視聴する
WWDC
【販売】Apple 【価格】無料 【備考】App Store>辞書/辞典/その他iOS
デバイスからは、Mac同様、アップルのライブストリーミングサイトからのほか、アプリ「WWDC」上でも視聴可能だ。
Apple TVで視聴する
アップルTV上の「Apple Events」チャンネルに表示されるであろう「WWDC2016」から視聴が可能だ。
WWDCの主な内容
Keynote
一般的にWWDCといったら、この基調講演(キーノートスピーチ)を思い浮かべる人が多いだろう。OS XやiOSといったOSを中心としたトピックについて、数人のエグゼクティブなどがプレゼンを行う。まれに新しいハードウェアやサービスの発表が行われることも。
Session
100を超えるカテゴリやトピックごとにその技術を担当するエンジニアやチームマネージャーなどがその概要をプレゼンやデモで説明をしてくれる。その模様は収録され、非参加ユーザも視聴することができる。
Lab
セッションの内容をエンジニアチームにサポートしてもらいながら実際にその新機能を試すことができる場だ。疑問点やリクエストをその機能を実装している本人に直接聞くことができる貴重な機会だ。
Consultations
WWDCの参加者がアップルのトップチームから直接アプリ/ソフトに関するアドバイスをもらうことができる場だ。ユーザインターフェイスのデザイン、アプリ/ソフトの配布方法、マーケティング、分析など多くのヘルプをもらえる。
Photo●松村太郎、developer.apple.com
おすすめのセッション
では、数あるセッションの中でどれを見ておくとよいのだろうか。まず、必見なのは初日に行われるキックオフセッションだ。昨年は「Platforms State of the Union」と題されていたこのセッションでは、その年のWWDCで提供されるセッションの重要な部分をOS Xチームの上級副社長であるアンドレアス・ヴェンカー氏を中心にトップメンバーがハイライトで解説していく。ベテランの参加者の間では「基調講演はあくまでメディア向けの余興」と揶揄されることもあるのだが、開発者にとってもっとも有益な情報はここで提供されるものがほとんどであり、ゆえにこのセッションが非常に重要な意味を持つ。何か1つだけWWDCのセッションを見るのならば、間違いなくこれをおすすめする。
キックオフイベントの中で気になるテクノロジーやキーワードを見つけたら、次にチェックしたいのは新機能を中心に紹介されるセッションだ。セッションは「Core OS」「Frameworks」「Developer Tools」「Media」「Game and Graphics」などのジャンルに分けられてナンバリングされており、それぞれの新機能解説は例年「What's new in ~」という出だしで始まるタイトルで統一されているため、見つけるのが容易だ。ここで紹介を担当するのはそのチームのリーダー、もしくはマネージャーなど、長年そのポジションを経験してきた人物が多い。
たとえば「What's new in Cocoa」のスピーカーであるアリ・オザー氏はOS Xのソフトウェア技術の根幹をなすプログラミング・フレームワーク「Cocoa(Objective-C)」を1990年代から支えてきた主要メンバーで、現在のココア(Cocoa)の仕様を最終決定する責任者でもある。この「What's new in ~」シリーズセッションで語られる内容は「この新機能はどういった意図があるのか」という情報だけでなく「なぜこの機能は改訂されたか」「今後どうなっていくのか」など今後のロードマップやテクノロジーのトレンドを知るうえでも非常に参考になる。
先述のとおり、WWDCはアップルのエンジニアが公に「未来」を語ることができる場所だ。そのためセッションの一部にひっそりと重要な情報、たとえば新製品の仕様などが紛れ込んでいることもある。昨年話題になったものでは「Security and Your Apps」というタイトルのセッションでOS Xエルキャピタンから新しいセキュリティ機構であるSIP(System Integrity Protection)が導入され、管理者権限でもシステムファイルなど一部の領域にあるデータの書き換えや追加ができない措置が取られることがアナウンスされたのが記憶に新しい。
それ以前のセッションでも、レティナディスプレイがMacに搭載される前にOS Xにレティナ機能(HiDPI)を利用できるモードが実装されていたり(2011年)、CPUに複数のコアを持つiPhone 5が発売される前にiOSでのマルチコア利用に関するセッションが開かれていたり(2012年)と、毎年どこかしらのセッションにヒントのようなものがあちこちに散りばめられている。
アップルの技術革新は、OSのテクノロジーだけではない。WEBブラウザであるサファリが持つコアテクノロジー「ウェブキット(WebKit)」も、毎年WWDCのタイミングでさまざまなリリースが行われるため、WEB業界からも注目を集めている。「What's New in Web Development in WebKit and Safari」では、先行してテストされているウェブキットの機能から新たにプロダクション(正式版)に組み込まれる新しい仕様などがデモを交えて解説される。WEBブラウザは独自機能に偏ることなくすべてのブラウザで同じように動作する「標準仕様」となる必要もあり、これをリードするW3C(World Wide Web Consortium)の主要なメンバーでもあるアップルが提示する新機能はほぼ「これからのWEBの標準技術」となると考えて間違いがない。そのため、このセッションを見ておけばその年のWEB分野の技術動向を掴むことができるのである。
昨年はこれ以外にもiOS 9の新機能として話題になったコンテンツ(広告)ブロック機能に特化して解説した「Safari Extensibility: Content Blocking and Shared Links」などがセッションとして用意されており、例年WEB技術に関するトピックも決して少なくない。参加者の中にはアプリ開発者ではなくWEB分野で活躍するデザイナーや開発者の参加者も多くいる。
そして、WWDCのセッションは開発言語や技術だけにとどまらない。たとえば昨年は「Supporting the Enterprise with OS X Automation」と銘打たれたセッションがあったが、ここではオートメータやアップルスクリプトの新機能を中心にオートメーション(自動化)の活用方法を解説していた。スピーカーはこの道20年という大ベテランで、プロジェクトマネージャー「Apple Script GURU(アップルスクリプトの導師)」の異名をもつサル・ソグホイアン氏が担当するため、彼のスピーチを楽しみにするIT管理者たちがこぞって集まる人気セッションだ。
ほかにも「Designing for Future Hardware」というセッションでは、ソフトウェアだけでなく、まったく新しい製品を生み出すにはどうやってプロトタイピングしていけばよいのか、アップルのデザインチームが普段どういったプロセスを経ながら完成へと導いていくのかというノウハウを余すことなく解説していた。
プロジェクトの進め方をレクチャーするという内容は会場でも話題になっていたセッションだ。また「Introducing the New System Fonts」ではアップルウォッチを皮切りにiOS、OS Xでも標準のシステムフォントとなった「サンフランシスコ」がどういう意図でデザインされたか、実際の制作のプロセスを追いながらその使い勝手や機能性をデザイナー自らが詳細に解説していた。このように、単に話を聞くだけでもアップル製品の背景にどんなストーリーがあるのかを知ることができる、興味深いセッションもある。
基調講演の主要登場人物
Tim Cook
ティム・クック。ワールドワイドセールス&オペレーションズ担当執行副社長を経て、ジョブズの退任した2011年よりCEO(最高経営責任者)を務める。
Craig Federighi
クレイグ・フェデリギ。2012年より、ソフトウェアエンジニアリング担当上級副社長を務める。iOS、Macの開発責任者でもある。
Phil Schiller
フィル・シラー。1997年よりマーケティング担当副社長に就任。現在は、ワールドワイドマーケティング担当上級副社長を務める。
Eddy Cue
エディ・キュー。インターネットソフトウェア&サービス担当上級副社長。1989年からアップル社に勤めるベテランで、現在はSiri、iTunesストアなどの責任者。
視点の違う情報が得られる
このようにWWDCは開発者向けの「ソフトウェアの祭典」でありながらも、実はさまざまな視点でアップル製品が持つプラットフォームをカバーする非常にバラエティ豊かなプログラムが用意されている。中には専門的な話ばかりになるものもあるが、それでもセッションビデオをざっくり眺めて大意を掴むだけでも刺激的な情報が多く含まれているという点では非常に有意義だろう。
機能面に目が向けられがちなWWDCだが、視点を変えれば我々一般ユーザでも楽しめるイベントだ。間もなく始まるWWDC 2016のセッションビデオを覗いてみるだけでも、今までにないカタチでアップルの情報に触れることができ、より一層のアップル情報通になれるかもしれない。
セッションを視聴するときの秘訣
デベロッパーサイトをチェック
WWDCのセッション動画は、アップルのデベロッパーサイトで視聴することができる。例年、収録後に速やかに配信される。【URL】https://developer.apple.com
いくつものジャンル
たとえば、昨年のWWDC2015の動画を見てみる。「Core OS」「Frameworks」「Developer Tools」「Media」「Game and Graphics」など、ジャンルに分けらており、ジャンプすることもできる。
新機能を知りたいなら
「What’s new in ~」という出だしで始まるタイトルは、主に新機能を解説するセッションである。新機能の意図、今後の展開なども語られることが多い。
おすすめはキックオフセッション
昨年は「Platforms State of the Union」と題されていたキックオフセッション。ここでは、非常に有益な情報が明かされることが多い。
聞きとれなかったら字幕を表示
ビデオにはクローズドキャプション(字幕)が用意されている。聞きとれなかったときに、設定しておけば細かなニュアンスの確認ができる。
資料などをダウンロード
ページ内の[Resources]からは、スライドをPDF形式でダウンロードできたり、関連する資料やサンプルコード、ソフトウェアなども入手できる。
過去のWWDCセッション動画はアップルデベロッパーサイトで閲覧できる。【URL】https://developer.apple.com/videos/
【News Eye】
WWDCに参加するには、アップルデベロッパーコネクションのメンバー登録をしたうえで、チケットの申し込みを行う必要がある。当選すると購入権が与えられ、1599ドル(約17万円)を払って購入すれば、晴れて参加が可能だ。
【News Eye】
WWDCのラボは「セッション以上の価値がある」と感じている参加者も多く、筆者もその1人だ。ここで直接エンジニアにフィードバックすることで、ベータ版の機能が自分のリクエストどおりに修正してもらえたり、マニュアルに載っていないような「隠しコマンド」を教えてもらえることもある。
【News Eye】
State of the Union(一般教書演説)とは、もとは米大統領が国の現状について見解を述べ、連邦議会に対して主要な政治課題についての説明を行うもの。WWDCではこういった米国文化を背景にした知的なネーミングが付けられたものが多い。
【News Eye】
アップルにはWWDCに毎回登場する人気の「名物スピーカー」が多く存在する。毎年時期が近くなると関係者の間でも「あの人は今年はこの時間にセッションに出てくるらしい」といった情報交換が盛んになる。彼らと知り合い、コネクションを持つことも、開発者にとってはかけがえのない財産なのだといえる。