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第7話 “リアルタイム”が生み出す功罪

著者: 三橋ゆか里

第7話 “リアルタイム”が生み出す功罪

企業の評価額は、その事業の有望性を見定めるうえで重要な指標の1つです。評価額10億ドル超の非上場企業を「ユニコーン」といいますが、サービス開始からわずか2年で、その倍に当たる20億ドルの評価額に到達したのが、サンフランシスコ発の「スラック(Slack)」です。提供する同名サービスのデイリーアクティブユーザ数は200万人を突破。最近も評価額38億ドルで2億ドルを新たに調達しました。

スラックは、ビジネス向けのグループチャットツール。短いコメントをリアルタイムでやりとりでき、複数の「チャネル」を作ることで、プロジェクトやテーマごとに必要なメンバーを結集できる仕組みです。スラックが爆発的な人気を博す理由としては、未読件数に追われるEメール疲れ、直感的に使えるインターフェイス、ビジネス現場でのモバイルデバイスの普及などが挙げられます。

雑誌『MIT Technology Review』には、スラックが「water cooler effect」を発揮するとあります。まるで給湯室で周囲の会話を小耳に挟むような感覚で利用できるため、社員の生産性が高まる、と。確かに、Eメールなどにはない「ゆるくつながっている感覚」がありながら、一方で、緊急時などリアルタイムに連絡をとる必要がある際にも大きな力を発揮してくれます。

ところが、最近、スラックのような「リアルタイム」を基準としたグループチャットを疑問視する声が出てきました。「Base

camp」というビジネス向けコラボレーションツールの創業者ジェイソン・フライド氏は、グループチャットを「アジェンダのない、行き当たりばったりの参加者とともに参加する1日中続く会議のようなもの」だと表現しています。私自身も複数のプロジェクトでスラックを活用していますが、的を射た表現だなと感じました。

スラックのチャネルでは、誰でもいつでも発言することができます。何かちょっと気になったら、それを投稿してメンバーの反応を待つ。発言することのハードルが圧倒的に低いため、内容の重要性や優先順位を無視して会話が始まります。大して気に留めなくてもいい内容と、重要な内容とが入り混じってしまう。そのため、常に見ておかないと何かを見逃してしまうかもしれないという焦燥感が生まれ、人は常にスラックを覗くようになります。

リアルな状況に置き換えてみましょう。私が新卒で入社したのは、経営陣を入れて10人未満のベンチャー企業でした。25歳前後で早くもお局様になってしまった私の元には、システムやマーケティングなど他部署からの質問が集まります。いざ仕事をしようと思っても、区切りがつく前に肩を叩かれ、手を止めることに。これが四六時中続き、また会話が同時並行にいくつも行われるのがグループチャットなのです。

『The Economist』の記事は、集中して考え抜くことでしか解決できない困難な課題に向き合う仕事を「deep work」と表現しています。問題は、会話のブラックホールのようなグループチャットによって、人の注意力や集中力が絶えず遮られ、仕事の時間が細切れになってしまうことです。5分、10分に一回遮られるような状態で、deep workができるはずがありません。

でも、これは何もグループチャットに限った話ではありません。リアルタイムを基準とするサービス全般が、共通して私たちに及ぼす影響です。常に最新の情報が得られる利便性は、同時に私たちにもたらされる妨げの数を意味します。人生という道を進むとき、決めた目的地までまっしぐらに走れるのが高速道路だとすると、そうしたサービスを利用することは、1ブロック進むごとにストップサインで停止するようなもの。目指すべき場所があるのなら、慣れ親しんでしまった利便性を何と引き換えに手に入れているのかを考えるべきなのかもしれません。

Yukari Mitsuhashi

米国LA在住のライター。ITベンチャーを経て2010年に独立し、国内外のIT企業を取材する。ニューズウィーク日本版やIT系メディアなどで執筆。映画「ソーシャル・ネットワーク」の字幕監修にも携わる。【URL】http://www.techdoll.jp