フリック入力ができるまで
2016年3月6日に開催されたAUGM KOBE 2016では、アップルと関係の深い4人の登壇者によるトークライブが設けられた。AUGM神戸委員会代表であり、アップルのMac30周年CMにも登場した医学博士の杉本真樹氏、かつてアップルに在籍し現在はエバーノート日本法人会長を務める外村仁氏、アップルの元ソフトウェアエンジニアリングマネージャーの木田泰夫氏、そして本誌でもお馴染みITジャーナリストの林信行氏という、豪華な面々だ。アップルの歴史や映画「スティーブ・ジョブズ」の話題など、幅広い話題の応酬となった。
そのトークライブでは、文字入力に対する興味深い話がいくつか飛び出した。というのも、登壇者の一人である木田氏は、26年もの間アップルに在籍し、入力環境の開発に深く関わってきた人物だからだ。これまで表舞台に出ることが少なかった人物だけに、いくつもの質問が投げかけられた。
木田氏は、iOSで日本語入力キーボードを実装する際、最初は日本のガラケーようなテンキー入力は採用したくなかったと打ち明けた。ハードウェアに縛られた入力方法であり、ソフトウェア上で自由に形を変えられるiOS上では別のアプローチがあると考えていたという。しかし、研究すればするほど、このガラケーのテンキー入力ほど理想的な形はないという考えに至ったそうだ。
話題は、MacやiOSで使われている文字セットにも及んだ。ユニコードが登場する前、Macは約6000種程度の文字しか扱えなかった。Mac上で印刷物を制作しようと思っても、結局は写研(写植機の製造や書体の開発を手がける企業)の写植機に頼らざるをえない状況だったと、木田氏は当時を振り返る。そんな状況を打破するため、アップルは写研の文字セットをベースにしつつ、1文字1文字の典拠(出典)を調べたうえで、さらにJIS規格(JIS X 0213)に登録されている文字を加えて「APGS(Apple Publishing Glyph Set)」を作り上げた。
このとき木田氏は、実は「写研がAPGSを著作権侵害で訴えてくれればいい」と思っていたという。「もし訴えてくるようなら、写研がDTPに十分使える文字セットとしてAPGSを認めたということ。これ以上の宣伝はないと思っていたのに、訴えてくることはなかった」。そんな話で会場の笑いを誘った。
さらに木田氏は、ヒラギノフォントに関しても触れ、アップル製品がヒラギノを採用して最高に美しい状態で文字を表示できるようになったことは、自身のプロジェクト人生の中で最高の誇りだと語った。
「当たり前」の裏にある工夫
続いて行われたAUGMのコアメンバー・トークライブでも、日本語入力に関する話題は止まらなかった。外村氏が、Mac OS時代にことえり辞書の語彙数が減った時期があったのではないか?と質問すると、木田氏は、当時のサードパーティマーケティングから、ことえりが賢くなりすぎると他社の参入が難しくなるといわれ、仕方なく削減したことがあると打ち明けた。
木田氏の話はさらに続き、ついには日本語キーボードにまで広がった。現在の日本語キーボード配列の元になっている「アップルキーボードⅡJIS」(1988年発売)は、アップル製品で初めて[かな]キーが採用されたが、実はこれも木田氏の考案によるものだ。かな入力をトグル切り替え(一度押すとオン、もう一度押すとオフ)にしなかったのは、「脊髄で学習できるようにしたかった」からだという。キーの状態を目で確かめなくても、感覚で操作できるようにということだろう。
文字にしても、キーボードにしても、一般のユーザはごく当たり前のものとして使っている。しかし、そんな当たり前の存在も、現在の形にたどり着くまでにはさまざまな紆余曲折と創意工夫がある。木田氏の話からは、その足跡の一部を垣間見ることができた。
AUGM東京代表の村上丈一郎氏が持参したかつての名機Macintosh Portable(この写真ではiPadミニのスタンドとして使っている)。このマシンに関する話から、日本語キーボードの話へと続いていった。
【NewsEye】
木田氏によると、アップルは最初アドビと共同で文字セットを開発しようと提案したそうだ。しかしアドビは独自に行うことを決め、「Adobe-Japan 1-4」という規格を作り上げた。そこでアップルは、その規格をカバーする上位互換規格としてAPGSを策定した。