県庁を経営組織へ
教育やビジネスの現場で、ICTの利活用、とりわけタブレット端末の導入の意義が叫ばれるようになって久しい。それは行政を執り行う機関にとっても同様である。煩雑な手続きと膨大な書類を必要とする現場なだけに、ICTを活かした業務改善は喫緊の課題であるに違いない。iPadの導入で、業務におけるさまざまな課題を解決してきたお二人に話を聞くことができた。
1人目は、神奈川県庁にて知事補佐を務める根本昌彦氏。2014年にLTE対応のiPad1620台を県庁に導入し、わずか1年で会議資料で使う紙の約30%カットを成し遂げた。しかし、「こうした紙代という『コスト削減』だけがiPad導入の目的ではありません」と、根本氏は語る。「そのほかの業務内容にもICTの活用が広がれば、解決されるであろう課題は多いと思います。iPad導入のきっかけとして、まず目標に設定したのが効果が見えやすい会議のペーパーレス化でした」。
しかし、そこに至るまでの道のりは「艱難辛苦(かんなんしんく)の日々」だったと根本氏は振り返る。一番の問題は予算の財源確保。新たな予算を設定することなど到底できないので、足元で使えるお金はないかと探してみた。当時神奈川県庁は各事業所ごとに固定電話の契約を結んでおり、回線がバラバラだった。そこに目をつけた根本氏は電話代の一括契約を提案。さらに、紙代30%削減を目標として掲げることで、電話代の経費削減と合わせて1.5億円の財源を確保した。
こうして導入されたiPadが活躍する現場は多い。たとえば、県有地での土砂災害などに際し、現地の報告にはフェイスタイムを利用している。情報が瞬時に正確に伝わるため、いち早く復旧作業に着手できるのだという。また、畜産農家への普及指導を行う部署では、他の農家の優良事例などを説明するのにiPadを活用。写真や動画を使用することで、説明力が強化された。グループウェアや外出先でのメール利用も進み、わざわざメールのために帰庁するといった無駄な時間をなくすことも可能になった。目標としていたペーパーレスに関しては、知事自らそれを実践。会議体説明資料や知事副知事への説明資料等はすべてペーパーレスになっている。
このiPad導入による省力化は、年間約1億円の効果があるという。iPadの活用で職員のワークフローや情報伝達の形態を改善し、業務の課題を解決する。「その導入費用はコストではなく投資」と断言する根本氏の取り組みは、行政組織である県庁を、まるで1つの経営組織へと変革しているかのようだ。
iPadの導入費用は「コスト」ではなく「投資」です
神奈川県庁の根本昌彦氏。2011年の知事就任に伴い知事付きの顧問となる以前は、未来戦略家として、民間企業で長期経営戦略や新規事業の策定、実行支援、人材開発などを行っていた経歴を持つ。
導入成果の好循環
もう1人の人物は、佐賀県庁情報・業務改革課の円城寺雄介氏。
医務課に配属された2010年、同乗した救急車内で、救急隊員たちが搬送先の病院を探すのに四苦八苦する状況を目にしたのがきっかけで、iPadを活用してそのフローを再構築できないかと考えた。
「ホテルや飛行機の空き状況を確認できるように、空き病院を見える化できたら、全国的に年々悪化している病院への搬送時間を少しでも改善できると考えました」
こうして2011年、病院の受け入れ状況をWEBベースのシステム「99さがネット」で見える化するとともに、全救急車50台にiPadを配備し検索できる体制をスタートさせた。現場の使い勝手に徹底的にこだわってシステムを作り込んだことが功を奏し、現場の反応は上々だ。これにより「行政・消防・医療機関の情報共有が初めてできた」と、円城寺氏はその成果を語る。
このiPad導入は、救急患者の搬送時間短縮とは別のところでも効果を上げている。1つはデータで物事を語れるようになったこと。たとえば、特別に急を要する救急患者を搬送するための「ドクターヘリ」の導入には年間約2億円という莫大なコストがかかるのだが、搬送実績等の情報を整理することでその必要性を具体的な数値で示すことができた。結果、従来なら諦めていたであろう金額の設備を導入することができた。2つ目は、救急隊員が病院を探す以外のところでiPadを活用し始めたこと。ノートアプリや翻訳アプリを利用し、これまで意思の疎通が難しかった聴覚障がい者や外国人患者とコミュニケーションをとるといったことが、救急隊員たちの間で自発的に広まっているという。3つ目は、この取り組みの成功をきっかけに、県庁でもiPad導入の流れが推し進められたこと。それが今や1000人規模の職員のテレワーク(遠隔勤務)にまで発展している。県議会議員全員へのiPad導入も完了しており、佐賀県の行政機関は、全国でもっともIT化が進んでいるといっても過言ではない。円城寺氏は次のように語る。
「地方の小さな行政機関だからこそ、発揮できる機動力や柔軟性があると思います。そしてICT活用は地方の弱みを強みに変える武器になります。未来につながるより良い行政サービスを届けていきたいと考えています」
iPadが地方の弱みを強みに変える武器になります
佐賀県庁の円城寺雄介氏。根本氏とはうって変わって「叩き上げの県庁職員」。iPadを使うことで業務改善が大幅に見込める現場として「救急車の中」という発想が舞い降りたのは、まさにiPadが発売された2010年のことだった。
【NewsEye】
円城寺氏の、これまでの活動や取り組みをまとめた著書『県庁そろそろクビですか?』(小学館)が絶賛発売中だ。今回の記事で興味を持たれた方は、ぜひ手にとっていただきたい。ICT活用の参考書としても、痛快なノンフィクションとしても面白く読める。