1982-1986【黎明期の発想と先見性】
まだ、「アドビ」という単語が日本人のボキャブラリにはなく、英語圏でさえも「日干しレンガ」以上の意味を持たなかった1982年のこと。ゼロックスのパロアルト研究所のスタッフだったチャールズ・ゲシキとジョン・ワーノックは、その後の印刷・出版産業を一変させる1つのアイデアを携えてアドビを起業した。そのアイデアとは、ワーノックが以前から温めてきたプログラミングによってテキストやグラフィックス、およびそれらの配置を規定することができる「ページ記述言語」であった。
彼は、ゼロックス時代にゲシキと協力して進めた研究の成果として「インタープレス(InterPress)」という言語を作り上げたものの、会社の上層部は商業化に消極的だった。そのため、自らの信念に基づいて2人で起業し、「ポストスクリプト(PostScript)」を開発する道を選んだのだ。
このときゼロックスは、GUIと同じくページ記述言語の可能性を見抜くことができず、未来の担い手となるチャンスを二重に失った。しかし、未来が今のような姿になるとは、当の本人たちでさえ想像してはいなかっただろう。
アドビの社名は、ワーノックの自宅の裏を流れていた川の名前から採られたものだが、アップルと同じく、およそ先端技術系の企業とは思えないネーミングである。しかし、元々、稀覯本の蒐集家であり、紙の本の美しさを電子的に再現することを願ったワーノックだけに、日干しレンガと同様に、自社の技術が社会の礎になる日を夢見る気持ちがどこかにあったのかもしれない。
データではなくプログラムで印刷用のページイメージを表現するというワーノックとゲシキの発想は、世間の先を行く(既存技術の延長にある)というよりも、異なる方向から現れた技術が、それまで主流の流れを弾き飛ばすという類のものだった。だからこそ、大いなる可能性を秘めている反面、市場に受け入れられずに終わる危険もあった。
そもそもポストスクリプトは言語であり、単体でワードプロセッサや表計算ソフトのように機能するわけでもなければ、それらのソフトウェア開発に使えるわけでもない。それで記述されたページが実体化して、初めて価値が認められる種類の技術だ。そのクオリティは出力装置に依存するうえ、ポストスクリプトを「実行」し印刷するためのプリンタにはコンピュータ並みの処理能力が求められる。ところが、そんな製品は、まだどこにも存在していなかった。
このとき、業界で唯一、ワーノックとゲシキの先見性を評価し、ポストスクリプトの真価を認めたのが、故スティーブ・ジョブズ率いるアップル(当時は、アップルコンピュータ)だった。ジョブズは、アドビ設立から3週間後に2人のもとを訪れて交渉を開始し、最終的にキヤノンのレーザプリンタエンジンとポストスクリプトの実行機能を組み合わせた「レーザライター(LaserWriter)」を自社開発したのである。
その出力の美しさや精度と表現力の高さは、世界初のページレイアウトソフトのアルダスページメーカーと相まってDTP(デスクトップパブリッシング)革命の引き金となり、同時にアドビの評判も高める結果になった。
名馬も伯楽なくしては名馬たりえないという故事があるが、まさにジョブズはアドビにとっての伯楽(馬鑑定の名人)だったといえる。さらにアップルが同社に250万ドルの出資を行い、ポストスクリプトライセンスのロイヤルティも先払いしたことで、設立間もないアドビはポストスクリプトのさらなる開発や対応フォントの制作に着手できたのだった。
1987-1993【ソフトハウスへの覚醒】
アップルがDTPという金脈を掘り当てたことで、アドビは同社からの支払いが収益の8割以上を占める状態となった。さらに、他の大手コンピュータメーカーへのポストスクリプトのライセンスビジネスも軌道に乗り、サードパーティ製のポストスクリプト対応ソフト数が急速に増えるなどの副次的効果も得られて、アドビは順調に成長していく。
しかし、アップルがGUIのポテンシャルの高さを「マックペイント(MacPaint)」などの純正ソフトによって自ら証明し、サードパーティへの手本を示したように、アドビもまた、ポストスクリプトが秘めた力を解き放つことのできるツールを自ら販売することにした。それがイラストレータだった。
イラストレータは、元々、社内でのフォントデータ制作のために開発されたソフトを市販化したもので、これを公開することによって外部のフォント開発を活性化させる狙いもあったと考えられる。しかし、より多くのクリエイターに受け入れられやすいように、イラストレーション作成を前面に出した名称になっていた。
これを機に、アドビはポストスクリプトを軸にしたDTP関連技術のBtoBプラットフォーマーとしての存在感を示しながら、クリエイティブ系のプロシューマーを対象とするソフトハウスとしても頭角を現していく。1987年と1989年の収益は、前年比で2倍以上の伸びを示し、アップルからの支払いも絶対額では大幅な伸びを見せたものの、その割合は全体の3割まで低下した。
ベクターグラフィックツールのイラストレータに続けてアドビが自社ソフトのラインアップに加えたのは、フォトショップである。実は、このソフトは外部から調達したものだったが、契約はあくまでも独占販売権の獲得に留め、製品の全権利を買収することはなかった。その理由としてアドビ側は、イラストレータを補完するコンパニオン製品としてビットマップ系のグラフィックツールがあれば…とは考えたものの、フォトショップ自体の需要は微々たるものだろうと思っていたそうである。
現在のクリエイティブ分野におけるフォトショップの重要度を考えると信じがたいコメントだが、Ver.2.0を発売した時点でフォトショップの出荷本数はイラストレータを上回った。当初の控えめな予想が良い意味で裏切られたことで、アドビは動画編集ツールの「プレミア(Premiere)」や3Dイメージングツールの「ディメンション(Dimension)」、そして後に業界標準的なデジタル文書共有・配布フォーマットとなるPDFファイル作成のための「アクロバット」などもリリースし、総合的なイメージングソリューションを提供するソフトハウスへと大きく舵を切っていった。
1994-1998【イメージング帝国の拡張】
このビジネス拡張戦略を支えたのが、先進技術を持つソフトハウスの積極的な買収や育成だ。実際には、1991年1月のエメラルド・ソフトウェアの買収を皮切りとして、フォント、手描き文字認識、OCR系のソフトハウスを手中に収めてきていたが、1994年1月に、有望なソフト系スタートアップに投資を行うアドビ・ベンチャーを創設し、外部の才能を支援する姿勢を明確に打ち出した。
特に、同じ年に行われたアルダスの買収は、当時のマーケティング担当副社長をして「アドビという会社の性格を変えてしまうほどの大きなターニングポイントだった」といわしめるほどのインパクトを同社にもたらすことになった。
まず、この大型買収の結果、新生アドビは個人ユーザ向けのソフトハウスとして世界第5位の規模となり、収益はもちろんのこと、ブランドイメージや市場への影響力の点でも大きな躍進を遂げた。
また、アドビは、自身のラインアップにはなかったパイオニア的なDTPソフトの「ページメーカー(PageMaker)」を取得、競合製品であったアルダスの「フォトスタイラー(PhotoStyler)」や「フリーハンド(Freehand)」をも手に入れることができた。
企業文化の点でも元々のアドビは家族経営のような温かさと保守性を併せ持っていたが、アルダスは当時のアップルに近い、ゆるく自由な社風であり、両者の融合は新鮮な刺激であると同時に軋轢ももたらしていく。
そして、別のDTPソフトのメーカーであるフレームの買収により、アドビは持てる者の悩みに直面することになる。気がつけば、用途や機能の似たソフトが溢れ、ワーノックが50人以上にはしたくないと強く思っていた社員数は2000人を数え、製品ラインの棲み分けや市場の絞り込みに苦労するようになったのである。
結局、アドビは業績が悪化していないにもかかわらず、予防措置的に重複する製品と人員の整理を行うことで、体制にリセットをかけた。そして、その間にも新たなソフト分野であるWEB関連ツールに関する買収は強力に推し進め、1997年の末には、マイクロソフトに次ぐ世界第2位のソフトウェア企業になったのだった。
1999-2007【WEB&デジタル出版の推進】
結局のところ、旧アルダス製品の継続開発が徐々に打ち切られる中で、同社買収に関するアドビの最大のメリットは、ブルース・チゼンの獲得だったともいえる(ページメーカーも2005年で開発終了した)。
アルダスの副社長から買収とともに移籍したチゼンは、アドビ社内でもすぐに頭角を現し、2000年の暮れにCEOに就任。それと前後してゲシキとワーノックは表舞台からの引退を表明し、大きな時代の転換期が訪れた。
それ以前からプロダクト&マーケティング関連の重職にあったチゼンが推進したのは、従来からの紙メディアへの印刷を前提としたビジネスに加えて、WEBとデジタル出版への対応である。そのための買収の中には、マルチメディアオーサリングの世界で一時代を築いたマクロメディアも含まれており、その際に「フラッシュ(Flash)」もアドビの技術となった。
また、ビジネス分野のプロダクティビティソフトで定着していたオフィススイートなどの「スイート」(必須ソフトのバンドル販売)の概念を自社製品に適用し、すでにグラフィックデザインなどの分野で事実上の業界標準ツールとなっていたアドビの主要ツール群をまとめたクリエイティブ・スイート(CS)と呼ばれるエディションを目的別に用意するというマーケティングも推し進めた。
CSという販売方法は、多岐にわたるアドビの製品ラインアップをクリエイターにとって理解しやすい存在にするとともに、それまで以上に、アドビ製品を揃えて使うという意識を高める方向に働いた。収益も2007年には初の30億ドル台を達成するなど、アドビの業界におけるポジションをより強固なものにするうえで、大きな役割を果たしたといえる。
さらに、この間に、アドビはフォーチュン誌が選ぶ「働きたい企業ベスト100」の中で、最高6位を記録するまでになり、仕事をするための場所としても充実した環境になっていった。
2008-2015【モバイル&クラウドへの展】
アドビは2008年からインド出身の社長兼CEO、シャンタヌ・ナラヤンのリーダーシップの下に、創業以来5番目のフェイズへと移行した。そこでは、モバイルデバイスとクラウドサービスへの積極的な対応がビジネスの核となっている。
モバイルへの展開で象徴的なのが、2011年に、もともとフォトショップの簡易版的位置付けで提供されていたWEBアプリの「フォトショップ・エクスプレス」をiOSやアンドロイドアプリとして無償公開したことであり、2013年に最初からiPad向けに開発されたベクターグラフィックツールの「アドビ・ドロー」(現アドビ・イラストレータ・ドロー)がリリースされて以降も、数多くの純正モバイルアプリを用意して、一般ユーザにアドビ製品を身近に感じられるようにすると同時に、プロのクリエイターにはタブレットデバイスが仕事のツールとしても利用できる環境を整えてきた。
これと並行して、CSを、クラウドベースのサブスクリプションモデルを採用したクリエイティブ・クラウド(CC)で置き換える大胆な改革も進め、ユーザがバージョンを意識せずに常に最新のツールを利用して作品作りが行えるように製品の在り方を変更した。ソフトウェアのCC化は、個々のプロジェクトごとに、特定のツールを短期間だけ使うような利用法も可能とする自由さを実現し、違法コピーを排除する役割も果たしている。
ただし、ユーザの中にはサブスクリプションモデルを嫌って代替ツールを探す動きもあり、他のサードパーティ製のクリエイティブ系ソフトも総合力ではアドビ製品群にかなわないとしても、特定分野においては同等に利用できるものが登場し、Macアップストアを通じて販売されている。ナラヤンが、こうした新たな状況に対してどのように対処していくのかが、これからのアドビの課題の1つといえるだろう。