テクノロジーで徘徊を見守る
認知症の症状の1つに、徘徊がある。家の中を徘徊している分には大きな問題になりにくいが、ひとたび家の外に出てしまうと自宅に帰れなくなることもあり、事故や行方不明の原因となる。
警察庁の資料によると、平成26年度の認知症が原因と思われる行方不明者は1万人以上にのぼる。介護者や周囲の人がどんなに注意を払っていても、ちょっと目を離したときに外に出ていってしまうことがあり、認知症の人を見守る介護者にとって大きなプレッシャーとなっている。そのため、認知症の人の居場所が常にわかる装置が欲しい、と思う人は少なくない。
最近では、GPSで取得した位置情報を電話回線で送信できる小型の端末が発売されている。認知症の人がこの端末を持っていれば、もし1人で外出してしまっても、介護者はパソコンやスマートフォンを使って探索できる。チェリー・BPM社の「イマココサービス」も、こうしたソリューションの1つである。
イマココサービスは、GPS端末とスマートフォンで認知症の人や子どもなどを見守るサービスだ。専用のGPS端末「GPキューブ」には、GPS機能と3G回線による通信機能、バッテリなどが収まっている。大人の手にすっぽり隠れる程度のサイズで、重さも約30グラムと軽量。連続移動時にも12時間の稼働が可能だ。IPX6相当の防水性能があり、汗や雨にも強い。使用時には、対象者がいつも身につける物などにこの端末を取り付けておく。
GPキューブの位置確認には、iOS、アンドロイドに対応している専用の無料アプリ「イマココアプリ」を使用する。あらかじめ登録しておいた見守り対象者の名前をタップすると、地図と現在地が表示され、1台のGPキューブの位置を複数のスマートフォンから確認できる。検出位置には多少の誤差があり、ピンポイントで位置がわからないこともあるが、方向とおおよその位置がわかるだけでも探索はぐっと楽になる。
位置確認ができるだけでは、介護者が徘徊に気づかない怖れがある。そこで、イマココアプリにはGPキューブの状態に変化があった場合、スマートフォンにプッシュ通知を送る機能が搭載されている。停止していたGPキューブが移動し始めたとき、自宅から500メートル離れたとき、外出して1時間経過したときなど、さまざまなタイミングで通知条件を設定することが可能。利用者の特性に合った条件設定を行うことで、必要なタイミングで通知を受け取れるのだ。
また、チェリー・BPM社ではGPキューブを内蔵できる専用の靴「GPシューズ」も販売している。GPシューズの中敷きを外すと、踵の部分にGPキューブがぴったりと収まるスペースがある。これを使えば、利用者が手ぶらで外出したときでも場所を検知できる。
グループホームでの導入事例
千葉県・館山市にある認知症対応の高齢者介護施設「古茂口の家」では、今年の春から利用者の1人(以下=Aさん)がイマココサービスを利用している。古茂口の家はグループホームとデイサービスの複合施設で、Aさんはグループホームの入居者だ。
Aさんは「前頭側頭型認知症」と呼ばれる認知症を患っている。家族が在宅で介護をし、同施設のデイサービスを利用していた。しかし、症状の進行で在宅介護が難しくなり、現在はグループホームに入居している。
前頭側頭型特有の症状として、「日課に対して強い執着を見せる」ことが挙げられ、毎日決まった時間に、決まった行動を取る。歩くのが大好きなAさんは、朝晩2回、必ず散歩に出かけるのが日課だ。施設側もAさんの散歩に合わせて1日のスケジュールを組み、散歩の時間になったらスタッフが付き添って外出する。
しかし、時には予定外の時間に突然外出することもある。そんなときにはスタッフのスマートフォンにイマココサービスの通知が届くため、すぐに出向き、予定外の散歩にも付き添えるようになった。もし、スタッフの対応が遅れてしまった場合でも手元のスマートフォンでAさんの位置を確認しながら追いつける。
古茂口の家の生活相談員、高尾義之氏は、イマココサービスのメリットを次のように語る。
「普段はスタッフが注視して、Aさんが外出するときには必ず付き添いますが、スタッフが一瞬目を離した隙に、すーっと外に出てしまうこともありました。そんなときでもGPSがあれば即座に対応できるようになったため、とても助かっています。付き添いのスタッフと施設のスタッフで同時にアプリを起ち上げて居場所を確認できるので、車で迎えに行くのも楽になりました。ここでAさんが安全に暮らすために、GPSは必要不可欠です」
ケアを担当するスタッフのプレッシャーが和らぐことも大きな効果だという。
実は、Aさんの入居当初は別のGPSサービスを使っていたが、いくつかトラブルがあったため、途中からイマココサービスに変更したそうだ。
「前に使っていたサービスは、GPS端末を持ち物に取り付けたり、服のポケットに入れたりして使うタイプだったのですが、たとえばGPS端末を『お守りだよ』と言って渡しても、認知症の人の場合、『それがお守りだ』という記憶が飛んでしまい、何を持っているのかわからなくなって、捨ててしまうこともあります。また、端末が汗の水分で故障したり、位置の確認がパソコンでしか行えないなど不便なところも多かったため、防水性があって、スマートフォンで場所を確認できて、靴にセットできる製品を探していたんです」
防水仕様で靴に内蔵できるGPキューブとGPシューズの組み合わせは、施設のニーズにぴったりだった。すぐに導入したが、AさんにGPシューズを「自分の靴」と認識してもらうのは大変だったという。スタッフが4日ほどサポートして、やっとGPシューズを履いてもらえるようになった。
また、イマココサービスには、通った経路の履歴を見る機能がある。高尾氏はこれを介護記録に残して分析することで、Aさんの好む道順や、嗜好、症状の進行具合をより深く知ることにつなげようとしている。
生活の質と安全を両立させる保険
徘徊への対応には、ドアに鍵をかけて外出を禁じる方法も考えられるが、それは絶対にやりたくなかったという高尾氏。
「Aさんには『歩きたい』という強い欲求があり、それを制限すると大きなストレスを与えてしまいますし、そもそも『外出されたら困る』というのは我々の都合です。我々の都合で利用者の行動を制限するのはできるだけやめよう、というのがこの施設の方針なので、鍵をかけて行動を抑制することは考えませんでした。Aさんの場合は、歩いたり、走ったりする能力が非常に高く、それは素晴らしいことなので尊重したい。たとえ病気でも、本人の『歩きたい』という気持ちを理解し、全力で支援するために、GPSの利用をAさんのご家族に提案して、GPシューズを購入していただきました」
古茂口の家では、前頭側頭型認知症の人が入居するのはAさんが初めてのことだった。そこで、受け入れ前にはスタッフのシフトや配置を変更したり、他の利用者も交えて病気に関する勉強会を開いたりと、周到な準備を行った。加えて、安全と安心のための「保険」としてGPSを導入して、現在のような介護が可能になった。
GPSの有用性を高く評価する一方で、GPSだけに頼り切ってしまうのは危険だ、と高尾氏は言う。古茂口の家がAさんの歩きたい気持ちを支援できるのも、前述の準備や施設周辺の環境に加え、これまでのケアの蓄積があってのことだ。
「GPSはあくまで保険です。その人にどんな習慣や症状、生活歴があって、なぜ徘徊するのか、といったことを介護者が理解しなければ、きちんと使いこなせないでしょう。介護で一番信用できるのは『自分の目』です。しかし、人間には限界がある。その足りない部分を補うためのツールとして利用するなら、GPS端末はとても有用だと思います」
【認知症】
認知症には、アルツハイマー型認知症、脳血管性認知症、レビー小体型認知症、前頭側頭型認知症など、さまざまな種類があり症状も異なる。前頭側頭型認知症特有の症状として、同じ行動を繰り返す「常同行動」や失語、本能の赴くままの行動、などがある。
【行方不明者】
「平成26年中における行方不明者の状況」(警察庁生活安全局生活安全企画課)によると、警察に行方不明者届が出された人の中で、認知症が原因とされる人は1万783人。行方不明者全体(8万1193人)の約13%を占めている。