アップルの存在を希有にしているのは、手のひらにおさまるものから視界いっぱいに広がるものまで、さまざまなコンピュータという機械を世に送り出し続けながらも、常にその根底にはコンピュータに対する否定があるように見えることである。
The Computer for the rest of us. 初代Macintoshのスローガンは大きな冠の付いた“コンピュータ”という機械を専門家以外の大衆に広げることを目的としたし、マウスやグラフィカルユーザインターフェイスも、iMacやMacBookも、iPhoneやiPadも、コンピュータをいかに人間にとって自然なものにするかという命題を究極の頂に掲げた、不断の努力の証である。
それは、コンピュータを作りながらコンピューティングをいかに見えなくするか、という二律背反めいた壮大なチャレンジともいえる。コンピューティングを誇大表示して威張り散らす製品が多い中、足し算ではなく引き算の発想で、必要不可欠なものだけを厳選して形作られるアップル製品のクールな出で立ちの裏には、常にコンピュータは「知の自転車」(知性を拡張するツール)であるという、リベラルアーツ(人を自由にする学問)をベースとした人間への賞賛がある。
否定ありきの開発からスタートして夢のように誕生したアップル製品が人々の生活を一変する様子を表して、「魔法」と呼ぶことがある。2010年、iPadが生まれたときもそうだった。だが、それからわずか5年。12・9インチの壮大なディスプレイを携えて登場した大きなiPadはついに「魔法」から解け出したようだ。
数代にわたるiPadは、これまでのコンピューティングが届かなかった場所—それは教室だったり、工場だったり、ITを毛嫌いする老人の手の中だったり—に入り込み、人間の生活を豊かにしてきたが、「魔法」と形容されるその背後にはコンピューティングの香りがまだ漂っていた。しかし、iPadプロはその地平から一足飛びにアップルが目指す頂、「コンピューティングを感じさせないコンピュータ」にもっとも近づいた。わずか1本の“鉛筆”が添えられたことによって。
紙と鉛筆。iPadとアップルペンシルは、人間が遙か昔から使ってきた根源的ツールの再発明である。アップルペンシルをスタイラスやペンではなく、鉛筆(ペンシル)と呼ぶことにアップルがこだわるのは、それが紛れもなく(誰にとっても使える)鉛筆だからだ。思いついたアイデアを書き留める、届けられた書類にサインする、設計図やカンプを描く、趣味の書道やイラストを楽しむ…、紙と鉛筆で実現できるあらゆることが、iPadとアップルペンシルで同じように行える。アナログに漸近しながら、同時にデジタルの恩恵をもたらしてくれる製品はこれまでになかった。
アップルペンシルの生みの親であるアップルの最高デザイン責任者、ジョナサン・アイブが英テレグラフ誌のインタビューに答えている。アップルのデザインチームのスタッフが実際にスケッチブックの代わりにiPadプロとアップルペンシルを使い出したことを踏まえ、こう続ける。
「iPadプロとアップルペンシルの組み合わせは、より自然に、より直感的に描けるアフォーダンスを人々に与える。習慣という力はとてつもないものだ。でも、何年も何年も続けられてきた慣習があったとしても、それはそこに美徳があるからだとは決していえない。iPadプロとアップルペンシルはアナログの世界では夢にまで見なかったことを実現する」
誰もが親しみやすい鉛筆というアナロジーを最大限に模しながら、そこに見事にデジタルを掛け合わせ、21世紀人に新しい可能性をもたらしてくれるのがアップルペンシルなのだ。
その恩恵を真っ先に受けるのは、その道のプロフェッショナルだろう。ノートブックの性能を凌駕するほどのパワーを駆使した映像編集、滑らかな書き心地によるイラスト制作、大画面を用いた迫力あるセールスプレゼン、迫力あるサウンドがもたらす音楽制作、さらには医療、教育、建築、製造、生産、アート…といった数々の専門アプリが人々のポテンシャルと掛け合わせられることで創造性と生産性が新たな次元へと達する。
このように書かれたり、また実際に使い始めると、iPadプロとアップルペンシルが実に人間に寄り添っていることを理解しながらも、同時にそれが「使う人を選ぶツール」のようにも思えてくる。つまり「プロフェッショナルの道具」として、そのポテンシャルを使いこなす実力はあるのか? 紙と鉛筆ではできないことを可能にできるのか?と語りかけてくる気がするのだ。
だが、そんな不安はすぐに払拭すべきだ。人々のそうした反応をあらかじめ察していたのだろうか、アイブはこうも語る。
「僕は少ない敬意を持って何かを使い始めるのが好きなんだ。最初はあまり気を使わず、あまり考えず。するといつの間にか自然に使い始めている自分に気がつく」
iPadプロは「プロフェッショナルのための道具」である。だが、それは最初から人を選ばない。初めて紙と鉛筆を使ったときのように、固定概念を捨てて気軽に使い始めれば、誰ものプロフェッション(仕事)を自然と高めてくれる「プロフェッショナルな道具」でもあるのだ。
iPadプロは、これまでのアップル製品がそうであったようにコンピューティングの創造的破壊を行う歴史的なプロダクトといえる。ただ、今回はちょっと違う。なぜなら、それはこぼしたり、かじったり、ひとなめしたりするほうがいいからだ。