20年弱前、アップルが潰れかかっていたとき、故スティーブ・ジョブズが経営に返り咲き真っ先に行ったのがブランド戦略、デザイン戦略の立て直しだった。アップルという会社がどういう会社で、何を目指しているかを端的に言い表した「Think different.」という言葉を生み出し、世界中の人々が見たあの広告キャンペーンをつくり、新たな船出をアピールした。
そして翌年、その「Think different.」をデザインとしても体現した初代iMacを発表し世間を驚かせた。
初代iMacは、美しく妥協しない性能でインターネット時代のパソコンを誰もが手にできるように、という明確な目標の下、デザインされた。わずか12センチのフットプリント(設置面積)も、ブラウン管に沿って後ろがすぼむ形状も、半透明のポリカーボネート素材も、要素の一つ一つすべてが、目標や「Think different.」の言葉に帰結する意味を持っていた。
翻って、話すのも憂鬱な我が国のオリンピック問題はどうだろう。経済大国の座もエレクトロニクス産業の大国の座も他国に譲ってしまい、そんな中を来年で5周年となる東日本大震災に襲われた日本。東北が復興中なのに、東京オリンピック/パラリンピック(以下、オリンピックと略す)をしている余裕などあるのか、という声もあったが、とにかく開催が決まった。
そこまでは良しとしても、その後はお粗末な事態がずっと続いている。
誘致を成功させたビデオにはそれなりのビジョンがあり、目標もあるかに見えたが、いざ開催に関する具体的な動きが始まると、政治家たちがお金の匂いをプンプンさせながら「俺流オリンピック」の持論を語り始め、ポツポツと決定事項だけが発表される。
それらをつなぎ合わせても1つの旗に織り上がるとは思えないほど統一感もなく、提示している価値観もバラバラ。個々の成果物についてデザイナーからの解説はあるが、本来はそれが成果物全体をつなぎ合わせた全体ビジョンにどうハマるのかを説明すべきオリンピック組織委員会は何も語るものを持たない。
冒頭のiMacがそうであったように、デザインというものは、解決しようとしている課題であったりビジョンがはっきりしていて初めて成り立つものだ。ただ、組織委員会は提出書類の項目を上から一つ一つ別の秘書に投げやるように、バラバラに対応しているだけ。
そんなやり方は当然、反感を買い、ソーシャルメディアも成果を批判しまくる。それがあまりにも話題として盛り上がるので、マスメディアも便乗して火に油を注ぐ。そして誰も表に顔を出さず責任を取らないでいい構造の組織委員会は、責任のたらい回しをして、再びそこから、ビジョンなど無視で非難が少ない方向に調整を始める。
こんな環境から何か素晴らしいものが生み出されるとはおよそ思えない。
炎上したエンブレム問題は、世界の人々が尊敬する日本のデザイン界をバカにするように「公募」し、国民投票で決着をつけるという。調整型役人の真骨頂といった感じだ。
しかも、その応募要項にも相変わらずビジョンはなく「日本らしさ」「自己ベスト」などのキーワードの羅列や「多くの人から共感されるべきもの」といった条件の提示があるだけだ。この人たちはデザインというものを何と心得ているのだろう。
残念ながら今の組織委員会は、「日本はいいデザイナーはいても、デザインに対する理解はこの程度」ということを、少し前までのエレクトロニクス産業に続いて証明しようとしている。そういえば「ここまで必要?」と思うほど膨大なオリンピック組織委員会関係者名簿は、そうしたエレクトロニクス産業や自動車産業の重鎮も大勢名前を連ねていた。
Nobuyuki Hayashi
aka Nobi/IT、モバイル、デザイン、アートなど幅広くカバーするフリージャーナリスト&コンサルタント。語学好き。最新の技術が我々の生活や仕事、社会をどう変えつつあるのかについて取材、執筆、講演している。主な著書に『iPhoneショック』『iPadショック』ほか多数。