故スティーブ・ジョブズは、アップルTVに関して、「(アップルのビジネスから見れば)ホビーのようなもの」と言い続けていた。しかし、そう言いながらも開発を続行したのは、既存のテレビに対して大いなる不満があったためと考えざるをえない。そして、その理由こそが、現在のテレビとテレビ業界が抱える問題点なのである。ここでは、まず4つの視点から、それらの問題点をあぶりだしてみることにしよう。
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花形メディアから周回遅れとなったテレビ
テレビは、1941年にアメリカでの商業放送が開始され、日本ではそれに遅れること12年、1953年にNHKの本放送が始まった。それから60年以上の月日が経っている。人にたとえれば、テレビは還暦を過ぎたメディアなのである。
もともとテレビとはテレ・ビジョン(tele-vision)、すなわち「遠い視覚」という意味を持つ、映像技術やシステムの略称だ。日本では、その受像機自体も「テレビ」と呼ぶが、正式な英語の場合には“television set”のように「セット」を付けてはじめてハードウェア製品の意味になる。ブラウン管時代には、その上面がケーブルテレビやネットワークテレビの受信ボックスを置くのに適していたため、「セットトップボックス」という呼称が生まれた経緯があった。
いずれにしても、遠くで起こった出来事を、まるで目の前で起こっているかのごとく見られることは、写真術や飛行術と同じように人類の夢の1つだったといえる。
そんな夢から生まれたテレビは、当初、生放送しかできなかったこともあり、スポーツの試合中継や現場の動きまでも伝えられるリアルなニュースソースとして、即時性の高さを売り物に普及が進んでいく。そして、ときにセンセーショナリズムに走りながらも、マスメディアの花形にまつりあげられていった。
その一方で、放送という言葉が「送りっ放し」と揶揄されるように、基本的に局から視聴者への一方通行となるサービスの基本形態は、誕生から60年を経てもほとんど変わっていない。デジタルテレビへの転換や放送中のSNS利用などによって、確かにある程度の双方向性を得ているが、その利用は限定的、かつ、あくまでも局主導によるものだ。インターネットが持つ自由さとは、確実に次元が異なっている。
実際にテレビは、民放各社の稼ぎ頭ともいえる連続ドラマの平均視聴率が、この10年で14・2%から8.9%へと急落するなど苦戦を強いられており、消費者のテレビ離れは深刻だ。HUT(総世帯視聴率)という、録画やPC視聴を除き、テレビ放送を放映中に視聴した世帯割合で見ても、その数値は下降の一途をたどっている。その原因はどこにあるのか。続く4つの視点からまとめてみた。
●HUT推移(ゴールデンタイム)
ゴールデンタイム(日本では午後7時~10時)のHUTの推移。人気のあるドラマなどがある期には、いったんその数値は持ち直すものの、全日視聴率とともに90年代末から続落傾向にある。
出典:ガベージニュース「主要テレビ局の複数年に渡る視聴率推移」(2015年)
【1】エンターテインメントの多様化
まず、第1に挙げられるのは、テレビ以外のエンターテインメントの多様化やパーソナル化だ。
かつてのテレビは、家庭の団欒の象徴であり、夕食から就寝までの娯楽として不動の地位を築いていた。食事中または食事後にテレビの前に家族が集うのは当たり前で、ファミリードラマからアニメ、洋画劇場、野球中継などで編成されたゴールデンタイムの視聴率も磐石なものだった。しかし、90年代後半にインターネットが普及すると、さまざまなコンテンツがネット上の無数のチャンネルから供給される状態が生まれた。さらに、子どもから大人まで一人一人が携帯ゲーム機やスマートデバイスを手にして、家族それぞれが自分のやりたいことをする流れが常態化した。その結果、インターネットコム(株)の調査によれば、2006年から2008年にかけて、情報の有用性のみならず娯楽性の点でもインターネットの支持率がテレビを上回り、44.2%対21.2%とテレビの2倍以上に達したのである。
このような状況では、当然ながら一人一人のテレビ視聴に割く時間が減らないほうが不思議といえよう。
【Q】テレビとインターネットでは、どちらが楽しいと感じますか?
【Q】テレビとインターネットでは、
どちらが自分にとって有益な情報が入手できると感じますか?
インターネットコム(株)の調査では、2008年の時点で、情報の有益性と楽しさの両面でインターネットがテレビを凌駕。その1回前にあたる2006年の調査では、楽しさはテレビのほうが上だった。
出典:インターネットコム「テレビとインターネットに関する調査」(2008年)
【2】番組の質やテレビ局のイメージの悪化
次に、2012年頃からマスコミ全体のモラル低下による偏向・虚偽報道、あるいは視聴率確保のためのやらせ番組が目立つようになり、コンテンツ提供者としての不信感が強まった。また、報道番組の中で自社イベントの話題を取り上げるといった利益優先の姿勢があからさまに感じられ、テレビの信頼性は一層揺らいでいく。
もちろん、インターネット上のコンテンツにも不信感を抱かせるものが多く存在するが、その場合にはユーザが他の信頼の置けるサイトに移行するだけで、ネットそのものが敬遠されるわけではない。だが、テレビの場合には選択肢が少ないこともあり、その存在自体への疑問に直結したのだ。
テレビのコンテンツも、有力プロダクションとの関係を維持するためだけに作られているようなバラエティ番組が増え、制作費のかなりの部分が出演料に回されるような状況では、受信料や広告主が商品に転嫁するスポンサー料の無駄遣いといわれても致し方ない。
こうしたことの積み重ねが、テレビ離れにつながるのは時間の問題だった。
テレビは以前から視聴率重視の姿勢が問題視されてきたが、特に2012年以降、局や制作側のモラルや質の低下が目立つようになって放映終了となる番組も出てくるなど、視聴者の不信感が助長された。
【3】コンテンツの視聴スタイルの変化
さらに、テレビの全盛期には決まった時間に決まった場所で番組を観ることが当たり前だったが、昨今のユビキタス社会では、いつでもどこでも自分の都合に合わせて観たいものを観るという視聴スタイルが普通になった。このことも、オンデマンドではなく局が決めたタイムスケジュールに沿っての視聴を強いられるテレビには痛手だった。
確かにビデオレコーダなどを使ったタイムシフト視聴も可能だが、民放にとってはCMを飛ばされることで広告効果が薄れれば、番組制作予算を減らさざるをえない危険性もある。いずれにしても、テレビ本来の番組放映の在り方が、デジタルネイティブ世代の指向性と合わなくなっているのは明らかだ。
ライフスタイルが多様化した現代社会では、テレビの視聴スタイルは時代遅れとなり、いつでもどこでも観られる「フールー」などの動画サービスが支持されるようになった。
【URL】http://www.hulu.jp
【4】テレビをめぐるユーザ体験のひどさ
最後に、これはソフト開発者や受像機メーカーの責任なのだが、テレビ局が提供するオンデマンドサービスの利用法がバラバラでわかりづらく、録画機器の多機能リモコンやメニュー画面の使い勝手も決して優れたものではない。筆者も経験しているが、なるべくコストをかけずに済ませるために、既存のリモコンの機能割り当てを変えて対処するような、おざなりのデザインがまかり通っていて、テレビを取り巻くトータルなユーザ体験を最悪なものにしている。
これらのことの総体として、テレビは凋落メディアになったのである。
オンデマンド視聴を進めるテレビ局もあるが、それぞれのユーザインターフェースが異なるうえ、視聴までの手続きなどもややこしかったりする。一般のスマートテレビのユーザインターフェイスもおざなりのものが多い。