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指伝話関連アプリの説明会などで高橋氏が使うマンガ。指伝話は決して障害者向けアプリではなく、誰にでも役に立つユニバーサルなiOSアプリだ。
アイデアと市場との出会い
「指伝話(ゆびでんわ)」というiPhone/iPadアプリをご存じだろうか。電話がかかってきたときに、音声読み上げ機能で対応するという面白いアプリだ。相手は電話で話し、こちらはフレーズをタップし、音声読み上げで応対するというものだ。
このアプリを開発したのは、オフィス結アジアの高橋宜よしあき盟氏。高橋氏はMac系プログラマーで、データベースのシステム構築を行っている。なぜ指伝話を開発することになったのか。
「理由はとても単純です。僕が欲しかったから(笑)」
電車の中などで電話にでられないとき、指伝話を使うという発想だった。高橋氏にとってそのアイデアをまとめてアプリの形にするのは難しいことでもなんでもない。そこで2010年11月に藤沢市で開催された「湘南ビジネスプランコンテンスト」に、現・指伝話2ME(機器含む)の元となる仕様で出品。しかし、結果は「ケチョンケチョンでした」。電話にでられなければ、メールやSNSを使えばいいではないか?と評された。
ここまではよくありがちな話だ。技術力のあるプログラマーが思いつきでアプリを作ってみたもののニーズがなかった。しかし、指伝話はここから誰も思いもしなかった展開を見せたのだ。
この指伝話に目をつけたのが、東京・八王子の永生病院副院長で整形外科医・赤木家康医師(故人)だった。赤木医師は喉頭癌に罹り、喉頭摘出手術を受けた。つまり、声を失ってしまったのだ。声が出ないということは診療ができない。患者と会話をして病状を聞き取っていかなければならないからだ。声を失い、現役を引退するかどうか悩んでいるときに出会ったのが指伝話だった。指伝話では、あらかじめ登録されているフレーズだけでなく、自分で登録したフレーズもちゃんと読み上げてくれる。その場で文字入力をし、その文章を読み上げさせることもできる。赤木医師はこの指伝話を使って現役を続行する決意をした。iPadで「具合はどうですか?」と読み上げさせ、患者が言葉で応え、赤木医師がそれを耳で聞くという風変わりな診療スタイルが生まれた。赤木医師は高橋氏に「この指伝話は声を失った人だけでなく、多くの障害を持つ人にとて福音になる」と伝えた。
「感動でした。私はずっとデータベースのシステムを作ってきましたが、それはできて当たり前。出来上がっても、ハイお疲れ様の世界なんです。でも、指伝話は福音になる、ありがとうの世界なんです。これは初めての経験でした」
オフィス結アジア代表取締役の高橋宜盟氏。試作開発から3年という時間をかけて、指伝話関連アプリは黒字化への目処が見えだした。「株式上場」という言葉も見え始めたが、高橋氏は上場よりもアイデアがあってもお金がないベンチャーを支援するような会社に育てたいという。 |
着信時に指伝話を起動すると、相手の話に応じて、対応するフレーズをタップするだけで音声応答できるようになる。電車の中など電話が使えない環境で使う。写真は、「指伝話ちょっと」アプリで、無料お試し版の指伝話。この2月にリリースされたばかりだ。
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じわじわとスローな戦略
高橋氏の指伝話事業は尊敬に値するものだが、しかし現実というものがある。ビジネス―わかりやすくいえば、黒字にしなければ事業を継続することすらできなくなる。慎重に戦略を練っていった。ちなみにこの指伝話、ごく普通にコスト積算していったら、価格を5万2000円前後にしなければ採算が取れないという。その価格で売るべきなのか、それとも0円にして一気に普及させ、あとからマネタイズを考えるべきなのか。一方で普及を図るためにはアンドロイド版も開発すべきなのか。
社内では激しい議論になった。
そして、「福祉機器だから高くても当然」という常識に挑戦することにした。奇をてらわず、価格を下げて販売本数を増やし、いずれは採算ラインに乗せるというビジネスの考え方でいくべきだということになり、現在の3500円という価格が決まった。
「しかし数百円という気軽な価格にはしなかった。また、0円のお試しアプリも出さない(現在はリリース)。ここはこだわりました」
理由は明快だ。オフィス結アジアは少人数のオフィス。多くのサポートに人手が割けないのだ。
「特に0円版を出すことは指伝話をダメにしてしまうとも感じていました。0円版を出すと、そもそも使う機会のない人までダウンロード対象となり、使い方についての問い合わせが増えるでしょう。これには対応の余力がない。また、使う必要がない人も含めて広く展開すると、本質ではない部分へのクレームやレビューの恐れも生じます。これでは必要な方々に指伝話の本質が伝わらなくなってしまうと思ったのです」
アンドロイド版も当面は出さないことに決めた。アンドロイドは画面サイズ、OSのバージョンなどがさまざまある。それに対応して開発することも少人数では難しいし、サポート体制もiOSの比ではないからだ。
「そう決めたことが、とてもうまくいきました。じわじわ売れていくので、私自身が説明会に直接出向いて説明もできます」
指伝話はリリースして2年経つが、売れ行きはいまだにじわじわと伸び続けている。大資本で一気に普及させるスピード感に満ちた話は多いが、スローな普及があってもおかしくない。そして、そういうスローなアプリを受け入れられるところも、iOS生態系の懐の深さなのだ。
指伝話の価値を最初に見いだした赤木家康医師。赤木医師は病気により声を失うことになり現役引退を覚悟していた。しかし、指伝話と出会うことで最期まで現場で診察をし続けた。多くの患者が、困難を克服した赤木医師に信頼を寄せていたという。
指伝話関連の有料アプリは現在8種類。いずれも「コミュニケーションの不便さ」を補うアプリになっている。
障害者、患者だけでなく、一般利用用途も考えられている。iPhoneが不便さを解消するツールであるように、
指伝話関連アプリはすべての人の不便さを解消するアプリなのだ。
見えない状態で操作するVoiceOver
iOSはアクセシビリティ機能も充実している。その筆頭は画面が見えなくても使える「ボイスオーバー(VoiceOver、以下VO)」だ。VOをオンにすると画面状態を日本語で読み上げるのでそれを聞き取り、誤動作を防ぐための専用ジェスチャーで操作する。VOは目の見えない利用者のための機能で、すべてのiOSデバイスで使える標準機能である。例えば、運転中や満員電車でiBooksやキンドルで本の「読み上げ」を聞く読書をしたり、寝る前に目を休めるため画面をまったく見ずにメールやツイートを確認したりできる。
iPhoneはとても普及しVOを必要としている人にも届きやすくなった。だが、残念ながらVOを必要としている人の周りにVOに詳しい人がいるとはかぎらない。iPhoneを販売している人でもVOを知る人はまだまだ少ない。そこで『iPhoneを日本語VoiceOverで操作する』を書いた。iBooksで読めるVO解説の電子書籍だ。興味のある方はぜひ一読をオススメしたい。(著者/高橋政明)
VOはきめ細かい設定ができる。ヒントの読み 上げとサウンドエフェクトでいろいろな情報 を教えてくれる。 |
iBooks Store>コンピュータ 『iPhoneを日本語VoiceOverで操作する iOS7編』
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『Mac Fan』2014年4月号掲載