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デジタル教本による”紙”ではできない特別支援教育

著者: 山脇智志

デジタル教本による”紙”ではできない特別支援教育

電子書籍で教育を

私たちがiPadを使う理由の大きな一つに電子書籍を楽しむことがある。最近では日本でもiBooksストアが開始され、ますます「本」と「デジタル」が近づいた。しかし、これはあくまでも読書という行為における部分の話。本や雑誌の編集・印刷の現場ではすでにDTP(デスクトップ・パブリッシング)によって原稿や写真の入稿から誌面のデザイン、そして印刷会社への原稿の送付に至るまでがデジタル化されている。つまり、近年における電子書籍といわれるものは、読書文化におけるデジタル化を意味するものであり、このラストワンマイルがデジタル化されれば、本というビジネスにおける流れは起点から終点までが一気通貫にデジタル化されることとなる。

この本の企画から編集制作、そして配布といった一連のデジタル化の流れを、教育分野で応用しているのが沖縄県立西崎特別支援学校だ。同校で行われているiPadを用いた教育プロジェクトでは、iPadでデジタルブックを「読む」ことだけでなく、「作る」という部分が大きな意味を持つ。具体的には、教員が「iBooksオーサー」を用いて生徒の生活支援のためのデジタル教本を作成し、それを生徒は実際の生活の中でiPadで閲覧しながら学ぶという学習方法だ。単に今の出版業界で起きていることをそのまま小さなストリームで実践しているようにも見えるが、結果としてこの方法でしか実現し得ない新しい教育の在り方を創造した。

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沖縄県立西崎特別支援学校では、「自立・社会参加」を大きな目標に掲げ、その支援方法として「アシスティブテクノロジー」の利用を推進し、2011年度からiOSデバイスなどの情報機器を教育に利用している。

 

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声でコミュニケーションを取ることが難しい生徒でも、アプリ上で「ありがとう」といった表現を選ぶとで、簡単なコミュニケーションが取れる。

 

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沖縄県立西崎特別支援学校教諭の知念元喜氏。同校においてICTを利活用した教育の実践を行う。ADE(AppleDistinguishedEducators)のメンバーでもある。

 

「自己実現」を叶えるために

そもそも特別支援教育とはどのようなものか? 文部科学省によれば「障害のある幼児児童生徒の自立や社会参加に向けた主体的な取り組みを支援するという視点に立ち、幼児児童生徒一人一人の教育的ニーズを把握し、その持てる力を高め、生活や学習上の困難を改善または克服するため、適切な指導及び必要な支援を行うもの」と規定されている。さらに2010年の「教育の情報化に関する手引き」では以下のように記されている。「知的障害者である児童生徒の学習においては、情報機器は双方向的な関わりがしやすく、視覚的、聴覚的にも多様な表現ができるため、児童生徒が関心を持ちやすく、活用を工夫することで有効な教デジタル教本による"紙"ではできない特別支援教育材・教具となる」。

同校でのiPadを用いた特別支援教育では、中でも「自立」と「社会参加」に重きが置かれている。いい換えれば、生徒が社会参加するための第一歩としての「家庭内での自立」だ。こうした教育が求めるられる背景には、同校には県内の他の学校にある寄宿舎がない(生徒は自宅から通う必要がある)という特殊な事情がある。寄宿舎があれば教えられる「家から離れても生活できるようにすること」「自立して生活でき、自分のことは自分でやること」という教育が十分に行えないのだ。

それを補うものとして同校教諭の知念元喜氏が発案したのが、iPadを用いた教育だった。生徒が学校で学んだ知識や技術を、iPadを用いることで自宅でも実践してもらうという狙いだ。ただし、問題となったのが知的障害者を支援する教材自体の少なさ。また障害といってもその幅が広いために市販ソフトでは対応が難しい。そこで知念氏はiPad向けのデジタルブックを作成できるiBooksオーサーに注目した。Macがあれば無料で利用でき、特別なプログラミング知識がなくても制作できる。また、工夫次第では紙の本ではなし得なかった機能を付加することができるというメリットもある。

「自分一人でもできるという自信や達成感を感じてもらえるように、生徒が自分のペースで学ぶことができ、仮に間違えたとしてもあきらめないような工夫を施すなど試行錯誤して制作しました」このデジタル教材はiBooksアプリで閲覧でき、教材を最初に開くと1分ほどの予告編ビデオが流れ、学ぶことの内容や方法が説明される。そこからは自動的に学習が始まり、項目ごとに指でスライドして学んでいける。例えば「せんたくき」という教材では、洗濯機の使い方を洗剤の入れ方から取り出すまでをステップバイステップで学べる。特に素晴らしいのはわからなければ何度でも繰り返して学習できることだ。それも文字を目で追うだけでなく、リアリティのある写真やイラスト、ビデオによって動きまで教えてくれる。教材には料理の作り方やアイロンの掛け方のようなものも揃っており、それぞれ目の前にiPadを置いて見ながら学校でも家庭でも一つずつ確実に学びを自然な作業として落とし込むことができる。

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知念氏がiBooksオーサーを使って作成したデジタル教本。洗濯や食器洗い、料理、アイロン掛けなど、生活の自立に必要な衣食住に関する知識と技能をデジタル教本を通して習得してもらうことを目的として開発した。

 

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教材を開くと1分程度の予告編が流れ、予告編が終わると目次に自動的に移行し、作業の内容が各項目ごとに見られる。そしてそこからは生徒が自分自身のペースでスライドを指でめくっていける(図は「洗濯物たたみ」)。教本はユニバーサルデザインの視点から作られている。この視点は普通のアプリ作成においても活かせるものだ。

テクノロジーが学習を促進する

知念氏は今回のプロジェクトを実証研究として行い、検証結果をまとめている。「紙のプリントとiPadを用いたデジタルブックとの比較」ではチャーハンを料理するのにプリントとiPadを見ながら行った場合、iPadを見ながらのほうが料理の出来がよく、調理時間が短くなるという結果をレポートしている。「考える」「判断する」という行為が容易にできたこと、そして画面操作のし易さなどにより調理法の確認がすぐにできたことが要因と考えられる。

調理後の生徒の反応も興味深い。「デジタル教本を見ながらならほかの料理もできそうだと思う」「もっとやったことのない違う料理にも挑戦してみたい」という、iPadという端末自体、そしてiBooksオーサーで作成した豊かな表現を持つ教材だからこそ得られた「期待感」だ。新鮮な体験が生み出す「もっと」と「違うこと」も、という意識は確実に生徒にとっての向上につながる。知念氏は今回のプロジェクトの狙いをこう語る。

「特別支援学校の生徒は社会的不利、ハンディキャップを持っています。しかし、情報機器を活用することで、生徒の不自由な部分をうまく補うことができるのではないか。知的障害を有する生徒を抱える本校の場合は、特に苦手とされる『記憶・推理・判断』の部分をiPadに補ってもらうのが一番よいと考えました」同校では現在は全部で56台のiPadとiPodタッチが稼働しているそうだ。デジタル教本の作成で苦労したことや、今後の課題はなんだろうか。

「教本作りで一番苦労したことは実践するためのルール作りです。これには、実際に生徒による検証、先生方による検証、大学教授や主事による検証など多くの検証を行いました。利用面での課題は多くの先生方に使ってもらうこと。そのために多くの事例や使い方などの研修を開き、各学校間での情報交換をしていくことが重要です。今年度は校内にICT班を作り、職員20名程でデジタル教本の作成に取りかかっています。いろいろな先生方のアイデアで進路、農業の手順、木工の機械・道具の安全な使い方などいろいろなデジタル教本を作成していきます」

同校におけるiPadの活用は、現場を知り尽くすプロがテクノロジーと出会うことによってこれまでのやり方では解決できなかったことを実現したという成功譚の一つであると同時に、知的障害を持つ人たちへの教育という世界共通の課題への大きな回答になっている。そしてなによりも「自立」という大きなゴールを目指す特別支援教育における新たな「希望」である。

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iPadの教材を見ながら料理する生徒。紙と比較してiPadでデジタル教本を利用した際のほうが高い効果が出る。例えば、チャーハン作りではデジタル教本のほうが時間を短縮でき、見た目も味もよくできる生徒が多い。「やるべきことがすぐに確認でき、考える・判断する」という部分で生徒の助けになったと知念氏は語る。

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デジタル教本で教えたことにより「家庭内での自立が定着するか」の検証結果では、しばらくすると毎日自発的に洗濯物を畳む生徒が出てくるなど、保護者からも喜びの声が上がっているそうだ。また、生徒の感想を聞くと、「実際にやってみることにより、その大変さがわかり、親への感謝の思いが出てきた」と知念氏。これが自立への第一歩となる。

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『Mac Fan』2013年9月号掲載