石川県立明和特別支援学校は、県内の特別支援教育の中心校であった石川県立養護学校と石川県立明和養護学校が2010年に合併し誕生した。
支援教育に活きるiOSデバイス
周りの生徒より読み書きが苦手であることは、果たして「頭が悪い」ということなのだろうか。確かに実際は、学校の授業においても教師の意識としても、周囲だけでなく本人でさえもそんな認識を持ちやすい。しかし、読み書きが苦手でも、頭で考えることはできる。そのインプットやアウトプットを手助けすることができれば、その子は何の問題もなく学校へ行き、学習することができる。その志を実践している教師が石川県にいる。
石川県野々市市に居を構える石川県立明和特別支援学校は、教員数100人以上、250人以上の障害を持つ児童および生徒を抱える日本でも有数の特別支援学校だ。ここに籍を置き、専任の相談員として保護者や教師からのさまざまな教育相談に応じている河野俊寛氏は、学校のカリキュラムとは別に、独自の方法で特別支援教育に尽力している。その活動にかかせないのが、iOSデバイスだ。
臨床発達心理士の資格を持ち、東京大学先端科学技術センターの交流研究員も務める河野氏は、主に読み書き障害を研究テーマとしており、読み書きを苦手とする子どもたちがストレスなく学習できるためのツールは何かを考えてきた。河野氏自身がコンピュータに興味があったこともあり、パソコンでの学習方法などの研究も続けてきたが、2008年にその意識が大きく覆ることなる。
「iPhoneが出て、大きく変わりましたね。iOSデバイスは書き補助、読み補助に非常に有効だと感じました」
河野氏はiPhoneそしてiPadといったiOSデバイス本体の特徴や性能もさることながら、数多く配信されているさまざまなアプリに読み書き補助に使える可能性を見出だした。例えば書き補助には「ドラゴンディクテーション(Dragon Dictation 無料)」や「音声認識Mail ST(85円)」などを用い音声入力する。これを使って夏休みの日記を書いた小学生もいるという。読み補助には人工合成音声で文章を読み上げる機能が付いた「金沢文庫」、読めない漢字は「大辞林」を使えばその漢字をなぞるだけで読みや意味を調べることができる。もちろんこれはパソコンでもできることだが、河野氏はいう。
「パソコンだと操作はマウスなどの入力機器を使うことになりますが、ディスプレイ上の動きとマウスの因果関係が理解できない子どももいるのです。その点iPhoneやiPadなら、ディスプレイを直接触ると反応する、この直接的な操作は非常に役立ちます。また、歩くのが困難な子どもなどはパソコンの前に向かうこと自体が難しいこともあります。そういったときもiPadなら楽に利用することができるわけです」
そして何よりこのような機能をすべて持ち合わせているデバイスが、パソコンよりも安価で手に入ることが大きい。とはいえ、実は河野氏の勤務する明和特別支援学校自体では昨年末にやっとiPadが5台購入されたばかりで、実用に至るにはまだ時間がかかるという状態で、iOSデバイスは個人的に利用しているのだ。
「学校で導入するにはまだまだ行政の問題などクリアしなければならない壁や、そもそもこういったITを授業に持ち込むということに対する関係者の意識の変革が必要ですが、パソコンよりも費用がかからないというのは実質的に敷居を下げます。石川県の特別な事情もありますが、全国的にもこれから始まったばかりといえます」
読み書きより大切なこと
河野氏は実にさまざまなアプリを使う。そのアプリを利用するデバイスもiPhone、iPad、iPadミニ、そしてiPodタッチとアップルのiOSデバイスの全種類を、対する子どもによって使い分けている。
「iOSは教育に使えるアプリが豊富ですね。たとえそのアプリが教育を目的に作られたものではなくても、うまく活用できるものが多い。私は『ウチはドコモなんですがiPhoneじゃないといけないんですか?』と質問される親御さんもいるのでアンドロイド端末も持っているのですが、アンドロイド用のアプリでは残念ながらあまり見当たりません」
それはアップルがそういった目的で提供したわけではないが、シンプルでわかりやすいインターフェイスと操作性で、ユーザ個人が創意工夫できる汎用性と柔軟性を持ち得るアップルデバイスだからこその好例といえよう。
「読み書きには高次と低次という2種類の水準があります。低次の読み書きとは、見ている文章をそのとおりに書ける、読めるというレベルで、高次の読み書きはその文章のストーリーや登場人物などを理解するというレベルです。現在の学校はいまだに低次の読み書きを『できるようにする』ことに重きを置いていますが、発達障害の子どもはたとえ書くことが困難であっても、考えることができないわけではない。ならばその低次の読み書きはツールで支援してあげればいい。本当に大切なのは『考えること』であるはずです」
僕はバカじゃない
河野氏も交流研究員として携わる東京大学先端科学技術研究センターでは、障害や病気を抱えた高校生および高卒者を対象にデジタルデバイスや支援機器を提供し、大学や社会を体験するプログラム「DO- IT Japan」を起ち上げ、毎年実施しているが、このプログラムに参加した発達障害を持つある学生はプログラムの総括としてこう書き残している。
「読めなかったり、書けなかったり、計算ができなかったりする僕は自分のことをバカだと思っていました。他の人に頼らずに自分でメモをとったり、自分で計算したり、自分で辞書アプリを使って調べたりして本の内容がわかったとき、泣けてきました。僕は障害があるけど、僕でもできる方法はたくさんあって、僕はバカじゃないとわかりました。『障害』は『困っていること』で、『障害者』は『困っている人』です。『困っている人』は助けられる人や助けられるモノがあれば助かります」(一部抜粋)
読み書き障害を抱える生徒は、小学生で10%、中学生になると50%が不登校になるといわれている。小学校までは頑張って授業についていったが、中学になり難易度や学習量が一気に増え、挫けてしまう。読み書きが難しいことで周りより学習ペースが下がり、自分は勉強ができない、頭が悪いと思い勉強が嫌になる。いわば「読み書きができないこと」のためにそのほかの可能性や才能の芽を摘み取ってしまっている現実がある。そんな現実に飲み込まれる子どもたちを救い上げるのが河野氏の取り組みであり、その取り組みに大きな役割を果たしているのがiOSデバイスであり、アプリなのだ。
河野俊寛(こうの・としひろ)氏。石川県立明和特別支援学校 教諭
河野氏が活用するアプリの1つ「金沢文庫」。「青空文庫」のデータを読み込んだり、テキストファイルをiTunes経由で読み込んで読み上げさせることができる。
東京大学先端科学技術研究センターの教授である中邑賢龍氏を会長とする「DO-IT Japan」は大学生や小学生対象のプログラムもあり、実際の起業へ訪問したり、海外研修なども行っている。
取材に訪れた日は、ちょうど河野氏が受け持っている自閉症の生徒との個人授業があった。MacBookエアの画面にはユーチューブにあるCM映像を流し、生徒にはそれを見ながら映像のキーワードを挙げさせる。この生徒は書くことは苦手だが、それをキングジムのポメラを使ってカバーする。今ではタッチタイピングで1分間に50文字以上書くことができるそうだ。「ポメラやiPadを学校に持ち込み、周りの生徒と遜色なくノートをとることができるようになりました」(河野氏)
iPadミニを使って1つキーワードから連想する言葉をマインドマップ系のアプリで記していく。今回のお題は「平和」だった。
「こういった取り組みの支援活動は、全国的にもまだ少ないです。『できるようにしよう』という意識が強い教育界で、徐々に意識を変えていく必要があります」(河野氏)
『Mac Fan』2013年5月号掲載