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生徒が自ら学び、教師も触発されるソーシャルな学習環境

著者: 山脇智志

生徒が自ら学び、教師も触発されるソーシャルな学習環境

復興する街に最先端の教育の姿

宮城県立石巻工業高校(以下、石巻工)はその名を高校野球や高校ラグビーなどの出場校として認識する人も多いだろう。そして、石巻工のある石巻市は東日本大震災による未曾有の津波災害を被り、同校にとってもそれは忘れられない記憶として刻み込まれている。現在では学校は正常に教育を行い、生徒達も通常どおりに通学している中、もしかしたら石巻市の姿を変えてしまうかもしれない先進的な取り組みが行われている。同校の正規授業として、10名ほどがiPhoneアプリの開発を行っている「イトナブ・プロジェクト(以下、イトナブ)」だ。

石巻市街地の復興と中心地再開発を目指す「ISHINOMAKI2.0」の中の1プロジェクトであるイトナブは、同市出身で現在は埼玉県在住のWEBデザイナー・古山隆幸氏が起ち上げたプロジェクト。「石巻をソフトウェア開発の拠点にする」という目標を掲げるこのプロジェクトには、グーグルやソニーなどの多くの企業がサポートを行っている。例えば、ヤフー!ジャパンなどは石巻市へのソフトウェア開発発注をすでに既定路線として決めるほどの、IT産業ならではの加速感を持った支援を行っている。そんな中で古山氏が大きな期待をかけて開始したのが、同氏の母校である石巻工における高校生へのアプリ開発教育プロジェクトだ。この企画を開始した想いを古山氏はこう語る。

「『イトナブ』とは『IT』+『営む』+『学ぶ』を合わせた造語です。ITを使って職業訓練と雇用創出までを一気通貫で目指しています。そもそも石巻出身の私にとって、埼玉の大学を出て一番驚いたのはパソコン1台でなんでもできる、ということ。しかし、例えパソコンがあったとしても触発してくれる環境がなければ、それで仕事にするまでのスキルにするのは難しい。このプロジェクトはもちろん震災がきっかけではありますが、私の心の中ではずっと考えていたことでした」

震災後、その想いを実現すべく古山氏は動く。まずは自分の母校である石巻工に企画を伝えようとした。卒業からすでに年月が経ってしまい、知っている先生といえばサッカー部顧問の先生しかいなかったそうだが、その顧問を通して紹介されたのが電気科教諭の阿部吉信氏だった。そのとき阿部氏も実は高校におけるプログラミング教育にもっと可能性を感じていた。

例えばこれまでの実習といえば、フォトショップやイラストレータなどのソフトウェアを使いこなすこと自体が目的であった。もちろん、それらのソフトウェアを扱うスキルは無駄にはならない。しかしそこで出来上がったものはあくまで市場性を持たない、自分たちだけの自己満足の世界に終わっていた。そこへiPhoneアプリの開発を授業の中でできないかという構想が阿部氏の中で沸々と生まれていった。

「iPhoneなどのスマートフォンアプリであれば、端末自身に備わる加速度センサなどの各種機能を単独で、または複合的に使えます。これまでそんな自由な開発ができる端末なんてなかったわけです。また昨年度にコンピュータの入れ替えのタイミングがあり、すべてiMacに入れ替えられたのも幸運でした」(阿部氏)

そんなことを思っている矢先にやってきたのが古山氏だったわけだ。

「想いは一緒でしたね。とにかくどこかで実現できないものかと、古山さんと一緒にプランを練りました」(阿部氏)

 

iOSアプリプログラミング授業

このプロジェクトが開始されたのは今年5月から、そしてそれが実際に形として実現したのは8月からに過ぎない。講師を勤めたのは企画に賛同した在京のIT企業のエンジニアやプログラマーたち。彼らは手弁当で石巻工を訪れ、イトナブの目指すミッションを果たすために必要な知識を思い切り伝えた。

現在は毎週木曜の午後に選択科目「プログラミング」として行われており、古山氏は2週間に一度、埼玉から石巻に移動して教壇に立つ。このプロジェクトの特異性は、外部民間の、しかもあくまでできたてのNPO法人の中の1つのプロジェクトが正規の授業として採用されていることにある。そこには震災だけでなく、それ以前からの宮城県独自の取り組みがあった。

「宮城県には『クラフトマン21』という民間の企業の人を呼んで授業する仕組みが、そもそもありました。なので教員資格を持たない私が教えることへの反発は最初からありませんでした」(古山氏)

教室にはiMacが並び、そこに生徒達はスクリーンに向かいひたすらプログラミングを行う。ある生徒は出来上がったコードを実際に走らせてみて動きを確認したり、ある生徒は隣の生徒に「どうよ、ここの動き!」とじゃれながら成果の賞賛を求めていたりする。

現在、生徒達が作成しているのはゲームアプリだ。ボールを打ち返し続けたり、ブロックを積んでいくようなパズルゲームが中心になっているが、中にはすでにそのまま公開しても数万ダウンロードはされそうな面白そうなものも散見された。すばらしいのは、17歳の彼らが自分たちが実際にプレイして面白いと思うことのできるゲームを自分たちで創ってしまっている点にある。そこには「やらされている感」は微塵もない。現在は生徒が自分たちで試行錯誤を重ねつつ学びをどんどん進めていくのがベースであり、目指すのは「自分たちで考えて、自分たちで形にしていく」ことだ。

「授業はあくまで起点です。各自が家でやったり、勝手に学びを深めていくことができる。しかし、スキルや知識がついても、デザインやアイデア自体はトレーニングだけでは解決できない。そんな課題はこれまでの教育では見えませんでした。そういった課題を生徒自体に意識させられるようになった。このことは非常に大きな収穫でした」(阿部氏)

母校を通じて故郷を活性化させようと想う古山氏と、教育の中でのプログラミング教育の可能性を信じていた阿部氏の想いが合致したことが、今回のプロジェクトを加速させた一番の要因であることは間違いない。その帰着点としてのアプリ開発であったが、両名が共通して認識しているのがアプリという「カタチ」であることに大きな意味がある。

 

「教える×教えられる」の関係を超越

生徒達はコロナ(Corona)SDKという開発環境でアプリ開発を行っている。それを使うことでまずは創りたいものを創ることができる。そして、その中からさらなるチャレンジを見つけ出し、その攻略を自ら、そして周りの力を借りながら達成していく。これまでの学校教育であれば、まずはゴールの見えない基礎的な部分からの出発となるが、それでは生徒達の興味を引きつけることにならない。まずはアイデアを出し、企画書を作成する。そしてそれをどうやったら実現できるのかを手を動かしながら、「出来上がること」を目指すわけだ。

面白いことにこの授業に関わる先生の一人が、民間企業に行って1年間プログラムを勉強したいといい出したそうだ。教えているはずの先生が子ども達のやっていることに触発されてもっと学びたいと意志を持ったのだ。「教えるのであれば、生徒の先に行かねばならない」と。

「教える×教えられる」という関係を超えた、双方が高め合いながらやっていくソーシャルな学習環境が生まれたのも、「イトナブ」だからこそ発生した化学反応なのかもしれない。

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イトナブ主催の古山隆幸氏。埼玉県に居を構え、WEBディレクターとしてWEBページの企画・提案・制作を生業としている。Twitter:@takafuru

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石巻の若者を対象に、地域産業×ITという観点から雇用促進、職業訓練ができる環境づくりを目指すプロジェクト「イトナブ石巻」。WEBデザインやソフトウェア開発を学ぶ拠点として、ソフトウェア開発イベント「石巻Hackathon」なども企画している。

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宮城県立石巻工業高校といえば、2012年に同校野球部が第84回選抜高等学校野球大会(センバツ)の21世紀枠として選出され、春夏通じて初めての甲子園出場を果たしたのが記憶に新しい。

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石巻工業高校電気情報科教諭の阿部吉信氏(右)と鈴木圭氏(左)。

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同校電気情報科の情報通信実習室には20台以上のiMacが設置され、コンピュータ言語をはじめハード、ソフトの基礎、OSやネットワークシステムの概要と運用・管理、そしてプログラミングについてといった学習カリキュラムが組まれている。

文:山脇智志

ニューヨークでの留学、就職、企業を経てスマートフォンを用いたモバイルラーニングサービスを提供するキャスタリア株式会社を設立。現在、代表取締役社長。近著に『ソーシャルラーニング入門』(日経BP社)。

『Mac Fan』2012年12月号掲載