人工知能が人間の知性を超えてしまうシンギュラリティ(技術的特異点)。2045年には訪れるというが、部分的にはもう超えているのではないかと考えている人もいる。そんな話を信じたくなるような出来事が実は今、起き始めている。果たして、人間は人工知能に勝てなくなってしまうのか。これが今回の疑問だ。
マッチ箱で作る人工知能の話
かなり昔の話で恐縮だが、『サイエンス』という雑誌に「数学ゲーム」という面白いコラムがあって、その中で、マッチ箱を作って人工知能を作るという話が出てくる。筆者のマーティン・ガードナーは、ヘキサポーンという単純なミニゲームを考案し、このゲームを戦う頭脳をマッチ箱で作ってしまったのだ。
これは日本で馴染みのある◯×の三目並べのようなシンプルなゲームで、局面は24種類しかない。各局面で取りうる可能な手を赤、青、黄色などで図示したラベルを24のマッチ箱に貼っていく。そして、人間と対戦させる。該当する局面のマッチ箱を開けると、赤、青、黄色のビーズが入っている。その数が多い手をマッチ箱頭脳は選択をする(同数の場合はランダム選択)。最終的にマッチ箱頭脳が勝った場合は、使った色のビーズをご褒美として増やしてやる。こうして学習させていくと、最善手を打つマッチ箱製の人工知能に育っていく。
さらに、学習の方法や性格を変えた別系統のマッチ箱人工知能を作り、なんと人工知能同士を対決させる。最初はどちらも間抜けな手ばかりを打っているが、学習が進み出すと、急速に最善手を打つようになる。このコラムは、ちょうどロボット工学者が鉄腕アトムがきっかけになっているように、人工知能研究者になるきっかけを作っているのではないかと思う。
存在しないものを作り始めた人工知能
よく「人工知能は過去のデータをうまく扱えるだけで、クリエイティブな能力は人間にかなわない」と言われる。そのとおりだと思うが、最近、それを揺るがすことが次々と起きている。たとえば、ThisPersonDoes NotExist.comというサイトにアクセスすると、いろいろな人の顔写真が表示される。ところが、この人は、人工知能が生み出した、地球上のどこにも存在しない非実在性人間なのだ。
この技術が進むとどうなるのか。動画にもでき、VTuberのように自分の動きに合わせて動かせるようになると、ネット内に非実在の人格を生きさせることができるようになる。今は、ネットでしか連絡を取らないという知り合いも増えている。その人から、テキストだけでなく、写真やビデオまで送られてきているのに、その人は実は存在しない。そんなことがあと数年で起きる。
また、MakeGirlsMoeでは、美少女画像を人工知能が自動生成してくれる。上海復旦大学の学生たちが作ったサービスで、彼らはGetchu.comで美少女画像を大量購入して、これを人工知能に学習させた。これも面白いサービスだが、やはりどことなく恐ろしさを感じさせる。たとえば、ある漫画家だけのキャラを学習させて、人工知能に生成させると、確かのその漫画家のタッチなのだが、その漫画家は描いていないキャラが生まれてくる。その漫画家は見た瞬間に「自分のタッチだ」と直感するだろうが、描いた記憶はないのだ。これは盗作なのだろうか、創作なのだろうか、それとも二次創作なのだろうか。これもすぐに人工知能を応用した同人誌が出版されるだろうから、コミケ方面の新たな火種となることは間違いない。
人工知能を対決させるGAN
このような非実在性キャラを生成するには、GAN(Generative Adversarial Network=敵対的生成ネットワーク)という手法で学習を進める。これは、2つの異なる人工知能を対決させる手法だ。たとえば、本物そっくりの偽札を生成する人工知能と、本物と偽札を判別する人工知能を作り、これを対決させるのだ。偽札人工知能は、相手を騙そうとより精巧な偽札を作るようになり、判別人工知能は騙されまいとしてより精度の高い判別ができるようになる。対決させることで、学習が高速で進むというのがこのGANの特徴だ。
高速学習するのはGANだけではなく、深層学習も同じだ。たとえば、自律運転をする自動車の人工知能は、公道走行から学習することももちろん多いが、それよりも多くのことを学習するのはバーチャル空間の中だ。コンピューター上に仮想の道路状況を生成して、ありとあらゆる局面を走らせ学習する。この空間で、1時間は1時間である必要はない。計算能力の許す限り、いくらでも早回しをさせることができる。
人間は、一生の間に何キロ分、運転を学習するだろうか。せいぜい40万キロ程度でしかないと思う。しかし、人工知能は、必要であればバーチャル空間の中で、何億kmでも経験を積むことができ、しかも通常ではあり得ない道路状況も経験することができる。
プロアクティブアシスタント
心情的には少し寂しいことだが、人工知能が発達をすると、職人技というのはあまり意味がなくなってしまうかもしれない。さしもの職人は、一目見ただけで、タンスの高さや長さを言い当てる。私たちはびっくりしてしまうが、それも経験を積んでいるからできることだ。
人工知能は、学習効率が人間よりいいか悪いかはさておき、人間の何万倍、何億倍も経験を積むことができる。この点では、もはや人間が対抗することはできなくなってしまうだろう。
Siriを人工知能と呼ぶかどうかについては微妙なところがある。多くの人が思い込んでいる「ウィットに富んだ返答」は、人工知能ではなく、エンジニアが用意しておいたものにすぎない。人工知能技術が使われているのは、音声認識や自然言語解析、音声合成などで、より人の声を理解し、自然な声で返答をするようになった。また、人工知能技術のひとつである機械学習が使われているのが、プロアクティブアシスタント機能だ。これで、最近のSiriはすごいことになっている。
Siriが提案するアプリなどは、単に起動回数順ではない。時間や場所などを機械学習をして、最も適したアプリを提案してくれる。マップのウィジェットに表示される「ランチ」「買い物」などのアイコンも使用頻度だけではない。その状況に応じて、必要と思われるものを提案してくれる。メールの情報も読み込んで、電話がかかってくるとメールの署名情報から相手を推定してくれたり、スケジュールっぽい文面があると、カレンダーに登録する提案をしてくれる。
すべての行動を先回りして提案してくれるというところまではいっていないが、機械学習の効果ってすごいなと最も身近なところで実感できる機能だ。これがじゃまだといって、オフにするTipsがネットには多いが、個人の感じ方、使い方はさまざまだとは言え、残念な気持ちがする。
人工知能技術は、こういった一定のパターンを学習して、最適なものを提案するということには抜群の威力を発揮する。
では、新しいものを生み出すクリエイティブな能力はどうか。この記事で紹介した2つの例は、人工知能がクリエイティブ(っぽいと思われる)能力を発揮した例だ。果たして、クリエイティブな能力とは経験から生まれるのか、それとも経験とは別の神経回路の接続から生まれるものなのか。そこはまだ誰にもわからない。
ThisPersonDoesNotExist.comで生成した写真。どこかにいそうな人なのに、実はどこにも存在しない。単に顔のパーツを合成したというようなものではなく、2つの相反する人工知能を対決させて学習させ、人によく似た物体の画像を生成させている。【URL】https://thispersondoesnotexist.com
MakeGirlsMoeで生成した萌えキャラ。この手のものが好きな人の間では、俺の嫁づくりに使われている。盗作なのか、創作なのか。議論を呼んでいる。MakeGirlsMoeは、上海復旦大学、カーネギーメロン大学などの学生が参加したプロジェクト。GANという人工知能技術が使われている。【URL】https://make.girls.moe/#/
Siriからの提案は、単に起動回数の多いアプリが表示されるわけではない。機械学習によって、ユーザが使うであろうアプリを先回りして表示してくれる。電話やメッセージなども必要があると思われるときに表示される。
文●牧野武文
フリーライター。マイクロソフトもテキストから画像を生成するドローイングボットの技術開発をしている。これが進むと、小説から写真を生成したり、脚本から映画を作ることも可能になるかもしれない。人工知能がクリエイティブやアートの領域に踏み込んできている。