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黒い筐体に赤いクリックホイールの特別モデル「iPod U2 Special Edition」。異例のアーティストコラボは「大ヒット」を記録

著者: 大谷和利

黒い筐体に赤いクリックホイールの特別モデル「iPod U2 Special Edition」。異例のアーティストコラボは「大ヒット」を記録

U2とのコラボレーション「iPod U2 Special Edition」

たとえば、ドコモのスマートフォンでは、定期的に『エヴァンゲリオン』や『ワンピース』『初音ミク』といった人気キャラクターとのコラボレーションモデルが加わる。また、ワイヤレスイヤフォン分野でもさまざまなメーカーが、人気アーティストやアイドル、声優などとのコラボレーションモデルを作っている。

しかし、自社のブランドイメージを大切にするAppleは、こうしたコラボレーションや、いわゆるダブルネーム製品を極端に嫌ってきた。そんな中、世界的な人気を誇るアイルランドのロックバンドの名を冠し、バックパネルにメンバー4人のサインがレーザー刻印されて2004年に誕生した「iPod U2 Special Edition」は、それまでの同社の慣習をあらゆる意味で打ち破る特異な製品だった。そして、その背景には大きな変革期にあった音楽業界の事情が絡んでいた。

実は、このコラボレーションは、U2のフロントマンでリードボーカルでもあるボノが自らスティーブ・ジョブズに提案したものだった。当時、ニューアルバムの「How to Dismantle an Atomic Bomb」とシングルカット曲の「Vertigo」を準備中だった同バンドは、ロック界の頂点に君臨しながらも、今後のアルバムや楽曲のプロモーションの難しさを切実に感じ取っていた。というのも、プロモーションの中心的役割を担っていたケーブルテレビのMTVが衰退し、2005年創業のYouTubeもまだ存在せず、楽曲の違法コピーが蔓延している中で、U2でさえも特に若い音楽ファンへのリーチに苦慮していたのである。

杞憂に終わったファン離れの心配

ボノの申し出は、一世を風靡したiPodの「シルエット広告」にU2が出演し、「Vertigo」を演奏させてもらえないかというものだった。U2は、いくら金を積まれてもCMに出ないことで知られていたので、これ自体が異例といえた。しかも、出演料は要らないというのだから、ボノの危機感の強さが想像できる。

他のメーカーなら断りようのない条件だが、AppleにもAppleなりの事情があった。もちろん、U2が出演すれば違法コピーに反対する自社の立場をよりアピールでき、iPodやiTunes Music Store(現iTunes Store)の売り上げにも貢献するだろう。だが、それまでインディーズ系バンドを起用して、顔の見えないシルエットダンサーが踊ることで広い支持を得ていたiPodのCMが、大物アーティストを起用して楽曲をプロモーションしたとなると、反発を招く可能性があった。また、U2側にも、ポリシーを曲げたことでファンの支持を失う心配が生じた。

そのため、プロジェクトの始動には時間がかかったものの、最終的にAppleは黒い筐体に赤いクリックホイールの特別なモデル(ハードウェアは20GB HDD搭載のiPod 2004年モデルと同一)を用意し、CM出演料の代わりに売上の一部をロイヤルティとしてU2に支払うこととした。価格は標準モデルよりも50ドル高かったが、U2のデジタル版コンプリートアルバム購入のための50ドルクーポンを付けることで、ファンにとっては相殺された。両者の心配をよそにiPod U2は大成功を収め、後のApple Watchのエルメス版などにつながったと筆者は考えている。

※この記事は『Mac Fan』2022年3月号に掲載されたものです。

著者プロフィール

大谷和利

大谷和利

1958年東京都生まれ。テクノロジーライター、私設アップル・エバンジェリスト、神保町AssistOn(www.assiston.co.jp)取締役。スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツへのインタビューを含むコンピュータ専門誌への執筆をはじめ、企業のデザイン部門の取材、製品企画のコンサルティングを行っている。

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