※この記事は『Mac Fan』2019年4月号に掲載されたものです。
“ジョブズ以降のApple”を示すために構想された「Knowledge Navigator」
1988年1月のMacworld San Franciscoの基調講演で、当時のCEOであったジョン・スカリーは、驚くべき映像を公開した。それは、スティーブ・ジョブズ追放のちのAppleが、依然として未来の情報環境のビジョンを示せることを世界に向けてアピールするために制作された、「Knowledge Navigator」と呼ばれるデバイスのコンセプトビデオだった。そのストーリーは、カルフォルニア州バークレーの大学教授が、Knowledge Navigatorをデジタル秘書として活用し、授業の準備や友人とのコミュニケーションをとっていくというものである。
実は、その前年の1987年暮れに、デザイン雑誌『AXIS』がKnowledge Navigatorのモックアップデザインを紹介しており、自分も含めて熱心なAppleファンたちは騒然となった。それまで、まったく見たことも噂にのぼったこともないその大判の本のようなモデルには確かにAppleマークが付いており、何らかの先行開発プロトタイプであるようにも思われたからだ。しかし、編集部に問い合わせてみても詳細は不明で、真相がわからないまま、新年を迎えた矢先、このビデオの中に、そのブック型マシンが登場したのである。
多くの人に「21世紀のMac」の夢を見せた画期的なマシン
Knowledge Navigatorは、①アプリケーションを意識させない文書中心のアプリ環境、②後のインターネットのWEBシステムを思わせるハイパーテキストによる情報リンク、③高いビジュアルコミュニケーション能力、④ユーザと協調して問題解決にあたるインテリジェントなエージェント機能、⑤タッチパネルと音声認識・音声合成を応用したユーザインターフェイスなどを特徴とする21世紀の情報メディアツールという位置づけだった。そして文字どおり「知識を導く存在」として、人間の良きパートナーとなることが想定されていた。
たとえば、ユーザインターフェイスひとつとっても、声は指示内容を伝えるには適するが、位置の指定などは苦手だ。そこでKnowledge Navigatorでは、画面上の位置やオブジェクトの指定は指で行いつつ、それに対する処理内容は、画面上に現れるアシスタントに声で伝えることで正確な作業を可能としていた。こうしたディテールの積み重ねはストーリーにリアリティを与え、誰もがこれが21世紀のMacの姿ではないかと夢見たのだ。
「Knowledge Navigator」は、「荒唐無稽な夢」だったのか?
ところが、Appleの公式見解は、「Know ledge Navigatorは特定の製品名ではなく、自分たちが目指す理想の情報環境の概念を示す言葉である」というものであり、その環境を実現するプラットフォームがMacであるかどうかの明言は避けられた。それでもAppleは、その後も数年に渡ってKnowledge Navigatorのバリエーション(ビジネス用、成人教育用、初等教育用など…)をコンセプトビデオの形で発表し続け、それにあわせてマシンのデザインもさまざまに変化した。
’80年代末の時点では荒唐無稽な夢物語として非難されることも多かったKnowledge Navigatorだが、そこで提示された個々の技術は、たとえば音声認識技術の「PlainTalk」やメディア統合技術の「QuickTime」としてのちに現実化されていくことになった。そして、気づいてみれば現在のiPadとSiriの組み合わせは、あのときのKnowledge Navigatorを現実的な解に落とし込んだ存在ともいえるのだ。
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著者プロフィール
大谷和利
1958年東京都生まれ。テクノロジーライター、私設アップル・エバンジェリスト、原宿AssistOn(www.assiston.co.jp)取締役。スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツへのインタビューを含むコンピュータ専門誌への執筆をはじめ、企業のデザイン部門の取材、製品企画のコンサルティングを行っている。