※本記事は『Mac Fan』2023年9月号に掲載されたものです。
– 読む前に覚えておきたい用語-
Armホールディングス | Armアーキティクチャ | 製造プロセス |
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1990年に英国で設立された半導体設計会社。現在はソフトバンクグループ傘下にある。エネルギー効率に優れたRISCアーキティクチャが特徴で、1992年にはAppleのPDA「Newton」のSoC「ARM610」を開発した。現在はアーキテクチャと各種デザインIPのライセンスが主力となっている。 | Armホールディングスが開発したRISCアーキテクチャで、Appleシリコンをはじめさまざまな情報機器に採用されている。組み込み用CPUを含めると市場の4分の3以上に採用されているといわれ、スマートフォン向けSoCでは100%近いシェアを誇る。 | 半導体集積回路をシリコンウエハーとして製造する際のプロセス条件で、回路を構成するトランジスタの微細化によって動作速度や機能(トランジスタ数)を向上させたり、消費電力を低減させたりすることができる。最新のCPUでは、5nmから3nmのプロセスルールが採用されている。 |
Appleシリコンに搭載されたプロセッサの性能とは
CPU(Central Processing Unit:中央演算処理装置)の処理能力(性能)を決める主な要素は、動作クロック周波数、IPC(InterProcess Communication:サイクルあたりの命令実行数)、コア数だ。このうち動作クロック周波数は、同じ製造プロセスを採用するシリコンと大きな差が付きにくい。そのため、同世代のCPUではIPCとコア数が支配的な要素となる。
Appleシリコンに採用された高性能CPUコアは、中でもIPCが極めて高い。他社のArmコアCPUはもちろんのこと、IntelコアプロセッサのCPUコアと比較してもダントツの処理能力の高さを誇っている。一方、CPUコア数を増やす方法はシステム全体の性能を底上げする場合には有効だが、CPU上で動くOSやアプリなどが並列処理に最適化されていない場合、そのメリットを実感するのは容易ではない。
性能向上と消費電力削減を両立する「TCS23」
Armホールディングスは2023年5月に開催されたCONPUTEX TAIPEI(台湾台北市で毎年6月上旬頃に開催されるコンピュータ関連の見本市)で、デザインIP製品群「TCS23(Total Compute Solutions 23)」を発表した。Armの製品は大きく分けて「AArch32/AArch64」のような「命令セット(CPUが実行できる命令のこと)のアーキテクチャ」と、そのアーキテクチャを実行するCPU設計である「デザインIP」に分類される。
前者は命令セットのライセンス製品であり、半導体メーカーはその命令セットを実行できるCPUを独自に設計できるのが特徴だ。Appleシリコンはその典型で、Armの64ビット命令セット「AArch64」を実行するApple独自設計のCPUコアを採用している。一方、デザインIPはArmが設計したCPUコアのデザインIP(Intellectual Property)で、半導体メーカーはそのCPU/IPを自社のSoCに組み込んで使用する。Arm社のCPU/IPには用途別にいくつかの種類があるが、スマートフォンやタブレット、PCなどに採用されるCPU/IPはアプリケーションプロセッサと呼ばれる「Cortex-A」シリーズだ。
さらに、Cortex-Aシリーズにはプライムコア、高性能コア、高効率コアの3種類があり、前者ほどIPCが高い。先述のTCS23では、Cortex-X4、Cortex-A720、Cortex-A520がそれぞれ該当し、Cortex-X4は従来のCortex-X3より性能が15%向上する一方、消費電力は40%削減されているという。さらに、最新の3nmプロセスに最適化した設計とされており、動作クロック周波数を引き上げることで、エネルギー効率と引き換えにさらに性能を向上させることも可能とした。
ArmがDSUを強化した目的とは
今回Armは、TCS23を構成するDSU(DynamIQ Shared Unit)「DSU−120」をリリースした。DSUは複数のCPUコアやGPUコア、アクセラレータなどの複数のクラスターを管理し、メモリやキャッシュの整合性(コヒーレンシ)を調停するユニットだ。Appleシリコンで言えば、パフォーマンスコントローラやFablicに相当する。
TCS22を構成するDSU−110では最大8コアのCPUコアを管理することができたが、DSU−120では最大14コアまで管理できるよう拡張されたのが大きな特徴だ。Armによれば、PC向けのSoCでは最大で10コアのCortex-X4と4コアのCortex-A720を組み合わせた構成も実現できるという。これによって、シリコンベンダーは、より多くのプライムCPUコアや高性能CPUコアを搭載することにより、M1やM2を凌駕するArmコアSoCを開発することが可能となる。
一方、スマートフォン向けSoCで大きなシェアを占めるQualcommも2023年6月のCONPUTEX TAIPEIでとある発表をした。昨年末に開発を発表した独自設計のCPU/IP「Oryon」について、2024年にこれを搭載したPC向け製品が登場する見込みだという。
噂によれば同社のPC向けSoC(コードネーム「Hāmoa」)は、現行のSnapdragon 8cx Gen・3の後継チップとして登場する見込みだ。そして、TSMCの最新3nmプロセスで製造され、高性能CPUコア8基と高効率CPUコア4基の計12コア構成だとという。こちらも、M1やM2を超える性能を発揮することが期待されている。
Appleシリコンの標的はIntelとAMD
これらの高性能ArmコアSocは、今のところAppleシリコンの直接の競合相手ではない。これらが目指すのは、高性能なArm版Windows PCの実現だからだ。ArmコアSoCベンダー各社は、現在IntelとAMDの寡占状態にあるPC向けプロセッサ市場に、その優れたエネルギー効率に高い性能を加えることで、新たな闘いを挑もうとしている。スマートフォンが成熟市場になり伸び悩む中、SoCベンダーは新たな市場を目指してPC市場に注目しているわけだ。
Appleにとって脅威になるとすれば、MacのライバルであるWindows PCが、M2クラスの高いエネルギー効率を備えたArm版Windows PCに置き換わっていくこと。ただ現状では、M2クラスの性能は出せても、M2 Pro、M2 Max、M2 Ultraのような上位SoCをスケーラブルに展開できるわけではない。しかし、PC向けに性能を高めたArmコアSoCが、Android搭載のスマートフォンやタブレット向けのSoCにフィードバックされ、iPhoneやiPadの強敵となる可能性もある。
Appleの強さは、単に高性能なAppleシリコンのみにあるわけではない。シリコンやデバイス、そしてOSやサービスなどすべてを自社開発することで構築された究極のエコシステム、それこそが他社が容易に追従できないAppleの強みだ。今後激しくなる市場競争をAppleはどう切り抜いていくのか、その未来に興味は尽きない。