教育現場におけるタブレット活用は年々高まっており、今年も入学時にiPadを児童生徒に配付している学校があるかと思う。そのときに多くの学校で問題となるのが、iPadの運用ポリシーだ。iPadを自由に児童生徒に使わせるのか、それとも否か。インターネットやSNS、授業に関係ないアプリ等の利用は児童生徒の自主性に任せるのか、一切禁止とするのか、それともその中間とするのか。どのように運用するかは実に難しい問題である。
ここであえて個人的な意見を言わせてもらえば、私は厳格な機能制限には反対だ。なぜなら、それは教育効果の阻害—3つの機会損失をもたらすからだ。
1つ目は「未知のものに触れる体験の機会損失」である。アプリやコンテンツ、新しいテクノロジーなど、新たなものに触れる機会が減ってしまうことで、児童生徒がさまざまな体験を獲得できない。
2つ目は「ITやSNSに対するリテラシー教育の機会損失」だ。制限された環境での利用が続くことで、児童生徒がリテラシーを豊かにする機会が得られない(もしくは先生が教えることができない)。
3つ目は「学習環境のモバイル化の機会損失」であり、児童生徒が教室の中だけでなく、いつでもどこでも学ぶことができる環境を奪ってしまう。たとえば、カメラ機能が禁止された場合、教室から持ち出した際に、屋外で見たものを記録し、その体験を発表するようなこともできなくなる。
よって重要となるのは、こうした機会損失を生まない「最低限の機能制限」とは何か?ということである。個人的には、それは各年代に合わせたペアレンタルコントロールやWEB閲覧のレーティングといった最低限なフィルタリングであると思う。最低限のコンテンツ制限として、アダルトコンテンツや不適切なものを制限すること。アプリのインストールは学校や先生側で取捨選択したものから自由に児童生徒がダウンロードできるポータルを用意するのが望ましい。
iPadを導入することによる教育的メリットは実に大きい。しかし、多くの教育機関では学校や先生側がそれを想像しきれていない。だからこそ機能制限に関しても中途半端な形となってしまい、結果として児童生徒にとって手元のスマホや家のパソコンよりも、役に立たないiPadが生まれてしまう。児童生徒が新しいモノやコトに触れ、学ぶことの楽しみを知ってもらえるにはどうしたらいいか、それを第一に考え、最大化し、実現するための最低限の機能制限を設けることが大事なのだ。
グローバル化が加速する中で、教育現場にも構造転換が求められている。世間で「教育の2020年問題」といわれているように、大学入試センター試験が大きく変わる方針が出された。今までのテストは暗記した知識の「量」が重視されていたが、これからは思考や判断など知識の「活用力」を問うものになる。こうした活用力を問う問題は、個々の教科・科目の範囲にとどまらず、複数の教科・科目を教科横断的・総合的に組み合わせて出題される。たとえば、社会問題や情勢を読みながら、数式や図表に表し、自分の意見を述べる、といった出題に解答することになる。こうした変わる大学入試に対し、授業スタイルや教育内容も対応していかなければならない。
ここで重要なことは、児童生徒の「学ぶ姿勢」である。教育を受ける中で「どう学ぶのか」がポイントだ。新しいものに触れ、ワクワクする体験を得ることが学ぶ姿勢に影響する。未体験のモノ・コトに対して、恐れず挑戦する気持ちを育てることが、学生であろうが社会人であろうが、これからの日常生活やビジネスの現場で必要になる。「機能制限」を考え直すことが、これからの「学ぶ姿勢」にも大きく影響してくるのではないだろうか。
Hironori Fukuda
企業や教育機関向けのApple製品の活用提案や導入・運用構築を手がける株式会社Tooのモビリティ・エバンジェリスト。【URL】www.too.com/apple