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ブルートゥフォース

著者: 藤井太洋

ブルートゥフォース

イラスト/灯夢(デジタルノイズ)

「得体の知れない仕事を、またよく請けたもんだな」

茶葉の沈むガラス製の水筒をテーブルに置くと開ききった葉が揺れた。向かいに座った毛丕承(マオ・ピチャン)がすかさずお湯を足してにやりと笑う。世紀が変わって十五年も経つというのに中国人が茶を飲む方法は変わっていない。

「ジャンボさんに言われたくはないね─っと、気を悪くしないでよ」

「するもんか」

暖かくなった茶をもう一度啜ると、再びお湯が注がれた。

「とにかく、来てくれて助かった。おかげで量産の目処もついたからね」

毛がテーブルの中央に顎を振った。

A4用紙ほどの広さの、基板むき出しの装置があった。ゴムベルトが四隅に取り付けられたアルミニウム板が左右に走るレールに取り付けられていて、そのレールが上下に動くレールに載っていた。板の下には縦横二方向のローラーが押し当てられている。アルミニウム板の上部には、下に向けたスタイラスが、四ミリほど浮いて固定されていた。

アルミニウム板の上に固定したiPhoneをレールに載った板ごと動かしてタップする装置だが─。

「これ、このまま納品するのかい?」

「悪いかよ。あとはジャンボの旦那が持ってきてくれたライトニングの端っこをつけるだけだ。ソフトは完璧なんだ」

「クライアントはアメリカなんだろ? 確かFBIに一千台収めるんだよな」

「すごいだろうが」と毛は胸を張った。だめだ、わかってない。

「なんだこの不細工な工作は。動きゃいいってもんじゃないんだよ。それに、この作りだとライトニング端子がむき出しになっちまう。困るんだよ。正規に買ってきたもんじゃないんだから」

スーツケースの中に入れてきたライトニング端子は、Appleの周辺機器ライセンス「MFi」を持っている潰れかけの機器メーカーから「開発用のサンプル」と偽って買い叩いてきたものだ。

「端子が埋め込まれるデザインじゃなきゃ、ブツは渡せない。帰る」

「ちょっと待ってくれよ。直すからさ。どんなデザインならいいんだよ」

おれはiPadを出した。iPhoneにスタンドから生えた二本の指がタップしている絵を描いて、毛へAirDropで転送する。

「これぐらいはやって欲しいところだな。とはいえ、おれもヒマじゃない。明後日にはホーチミンに行かなきゃならんのよ。二日でどうにかなるような話しじゃないだろう。諦めろ」

毛はiPhoneに転送された絵を見て顔を上げ、にやりと笑った。

「ジャンボの旦那、ここは深?(シェンツェン)だぜ。なんだって作れるんだ。ものすごく短い時間でね」

*

毛の言ったとおりになった。

二日前と同じ茶店に呼び出されたおれの目の前に、指の生えたiPhoneスタンドが置いてあった。それも二本指だ。

「……できるんだな」と漏らしたおれに毛は胸を張った。

おれが描いた落書きはその日のうちにCADで清書され、3Dプリンターでモックアップになった。それを手にした毛はArduino(アルドゥイーノ)開発者のパーティを主催して口頭で仕様を伝え、十二時間のコンテストと雑な契約書で成果を手に入れた。それからデジタルトイのプロたちが指にモーターを組み込んだという。

設備とインテリジェンスはシンガポールに劣るが、なにせ人数が違う。そして倫理観と知財の軽さが丸二日で動くゼロ号試作品を産み出すのだ。

3Dプリンター製のケースはABS樹脂よりも柔らかいし、スタンドに埋め込んだライトニング端子は正規品のケーブルをぶった切って得たものだというが、見かけは製品レベル。フェイクを本物らしく見せる表面加工のプロだって深?には掃いて捨てるほどいる。

そして毛は、この街のどこをどう押せば結果が返ってくるのか熟知しているというわけだ。

「よくできてるな。これならライトニングを抜いてシリアルを確認しようなんて奴も出てこないだろう」

おれは一千個の端子が入ったケースを毛へ押し出した。代わりに米ドルの札束が手元にやってくる。

毛は目の下に隈のできた顔でいたずらっ子のように笑った。

「試してみる? FBIから依頼されてる機能」

「いや、いいよ」

「遠慮は日本人の悪徳だよ。さあ、貸して貸して。飯食っていく時間ぐらいあるだろう?」

毛はおれの手からiPhoneをとりあげてスタンドにセットした。

毛が依頼されたのはブルートゥフォースによる総当たりパスコード突破装置だ。もしもうまく動くようならば、販売数はFBIの一千台では留まらない。大きなビジネスに化ける可能性がある。動くのを見ておくのも悪くはない。

それにおれのパスコードは「08」から始まる。飯の間に解けるわけがない。

「さあご覧あれ。超級両指(チャオジ・リャンジ)だ」

毛はMacBookからUSBを伸ばして二本の指が生えた装置に接続し、ターミナルからコマンドを送りつけた。

目にも留まらぬ速度で一本の指がホームボタンを押さえ、もう一本の指が「0」を六回叩く。続けて「1」を六回、次が「3」を六回、「7」を六回。

そこでホームボタンを押さえていた指は画面ロックボタンを押し下げ、電源を切る操作を行った。再起動のアイコンが表示される中、おれは毛に言った。

「試行回数をリセットをするんだな。どうして1の次が2じゃないんだ?」

「押しやすいコードから試すんだよ」

押しやすい─?

「ま、待て待て」と言った瞬間、指は「555555」「258008」を試し、「085225」を入力した。

画面のロックが解除された。

毛が手を叩いて笑う。

「ジャンボさんだめだよ。中央の列を順番に使うパスコードは」

おれは無言でiPhoneをスタンドから外し、椅子に尻を落とした。

毛が難しいパスコードの例を得意げに挙げていくのを睨む。ちくしょうめ。

とはいえ、賢い仕掛けだ。滑らかに動く指も気に入った。

「なあ、毛さん。せっかく二本指にしたんだからもう少し欲張らないか? 今回の納品はこれでいいとしてさ」

「たとえば?」

「こうやって─」と、おれは指を?んで動かしてみせた。「動かしてみせると記憶した動作を繰り返すとかさ。文字入力ドライバーも作れるだろ」

「簡単だね」

「ゲームディベロッパーが喜ぶよ」

夢のテスト環境だ、と続けようとしたところで、毛が吠えた。

「思いつかなかった! そうだ。すごいぞ。ジャンボさん、あんたすごい!」

「だろう? やろうじゃないか」

差し出した手を毛は力強く?んだ。

「一緒にやってくれ。ロイヤルティを分け合おうじゃないか。ステマの自動化ができる! レビューを機械が何万通だって書けるんだ」

違うだろうが! と手を振りきろうとしたおれは口をつぐみ「分け前はいらないよ」と伝えた。

倫理を押しつける資格はない。偽のレビューまでも商売のネタにする力任せ(ブルートゥフォース)の勢いが深?と毛を支えているのだ。

藤井太洋

2012年、セルフパブリッシングの『Gene Mapper』でデビュー。『オービタル・クラウド』で第35回日本SF大賞、第46回星雲賞日本長編部門を受賞。