再発見に隠された意味
iPadの教育利用は、世間一般がアンドロイド、ウィンドウズと比較するようなレベルではなく、実際はかなり進んでいるといわざるを得ない。過去資産の利用とかセキュリティとか、ハードスペックだけでしか論じられていない中にあって、アップルがiPadで目指す教育の改革は、そもそも視点が違う、という話だ。
それを如実に示しているのが、WEBサイトで新たに公開された活用事例であり、そこではすでにユーザ(教育者も生徒も)が自らが考え、アクションを実践しているという、「何をするのか」が最大限にフォーカスされた形での事例が掲載されている。残念ながら現時点では海外事例ばかりだが、今後は確実に行われているiPadを用いた日本独自の事例が掲載されていくことを期待している。
今回、サイトコンテンツを注意深く見ていくと、教育シーンでアップルが何を考えて、何を目指しているのかがうかがい知れる。それはずばり教育の「アップル方式」を確立することにあるのは衆目一致するところだろう。つまり「教育のイノベーション」そのものであり、かつてiPhone発表の場でスティーブ・ジョブスが使った言葉を借りるとすれば、教育の「再発明」にほかならない。
サイトトップにある文章は、まるでアップルが宣言するがごとく非常に簡潔かつ意志を持った表現によって高らかに謳い上げている。特に「教えること、学ぶことの意味の再発見」という部分に注目したい。実は元のオリジナルの英語では“reinvent what it means to teach and learn.”となっている。これを単語の持つ意味に準じて訳すと「教えることと学ぶことがどういうことなのか(意味するのか)を再発明」となる。ジョブスが持ちいた言葉をあえてここでも使っていること、そしてそれを日本語ではなぜ「再発見」にしたのか、つい深読みしてしまう。
そしてもう1つは「学習者の代弁者」たる姿である。これまでの教育市場では直接販売する対象ではなかった「生徒」を意識していることだ。アップルの必勝パターンである端末をベースにしたエコシステム構築においては、消費者が直接を取り込むことが鍵になる。
教育市場では、エンドユーザたる生徒を味方につけることであり、いうなれば「学習者からの教育革命」である。それはテクノロジーが歴史上初めて可能にした教育スタイルだともいえる。教室では個人の習熟度と能力に合わせた教育であり、プライベートでは自分の好きな時間や場所で、よりグラマラスな教材で学ぶスタイルだ。それは決して教育の現場から生まれてくるものではないことをアップルはよく知っている。アップルにはいつもコンシューマーが味方にいた。教育の現場ではそれは先生ではない。生徒だ。我々が1人が1台(もしくはそれ以上)の端末を持つときに起きうる今と未来にこそ必要な教育とは何か? トップの写真に重ねられてる文章がまさにそれをいい表している。
「ひとり一人の力を引き出すために(Tap into potential)」
これまでの教育とデジタルの関係性を紐解けば、デジタル化は特にアップルだけの専売特許ではなかった。むしろ、アップルは自身が保有していたLMSであるパワースクールを売却するなど、一時は教育事業において一歩引いた姿勢だったこともあった。しかし今、アップルが目指すのはこれまでのLMSやeラーニングと呼ばれたテクノロジーと教育の関係を築きつつも、はっきりとスタンスを違えて進んでいるような気がする。まるで過去のそれとはあえて「断絶」するかのように。まだ誰も見たことがない、成功したことがないデジタル教育における規範を作ろうとしているのは間違いない。しかし、それは教育という経済合理性だけでは語れない領域であり、日本の教育においてはある意味、支配するようなイメージを持たれるのは避けたいと考えた結果、「再発明」というラジカルな言葉ではなく、「再発見」というソフトな表現に変えたのかもしれない。
「学習者からの革命」は端末の向こうにいる利用者たる学習者を味方につけた、ある意味まさに「市民革命」。静かに見えつつも、何より刺激的なアップルらしい方策が教育に戻ってきた。それは、少なくとも今とは違う何かだろう。
『Mac Fan』2014年4月号掲載