2025年7月、「次世代型スマートウォッチ外来」と銘打ち、杏林大学医学部付属杉並病院が新しい診察の窓口を開設した。背景には、スマートウォッチなどで収集した個人の健康情報(PHR)を医療に活用しようとする試みがある。岩盤に例えられ、未だ発展途上の医療のデジタル化。一般に浸透しつつあるデバイスで、風穴を空けられるか。
患者さんと「未来の医療」をともに作る
21世紀も4分の1が終わろうとしている今、仕事のやりとりで紙の書類提出を求めようものなら、相手から文句が出ることは想像に難くない。それだけ、多くの職場でDXが浸透しつつある。
一方で、未だに3、4割強の職場で、紙でのやりとりが必須になっているのが医療業界だ。厚生労働省によれば、2023年の調査で、電子カルテの普及率は診療所で約55%、一般病院で約65%だった。
逆に言えば、残りの医療機関では、患者情報を紙で記録、共有していることになる。このような状況を、現場から変えようとしているのが、杏林大学医学部付属杉並病院だ。

同院が7月2日に開設したのが、次世代型「スマートウォッチ外来」。普段から身につけているApple Watchをはじめとするスマートウォッチやスマートフォンから得られる個人の健康データ「PHR(Personal Health Record)」を、診療や健康管理に活用する外来だ。
現在、多くのスマートウォッチで、歩数や歩行距離、心拍数、消費カロリーなどを自動で記録できる。さらに、血圧計や体組成計、血糖値測定器などとBluetoothで接続すれば、こうしたデータも簡単に取得・蓄積できる。一方で、こうしたデータは、医療現場とは独立した、個人の健康管理のためのものにとどまってきた。
スマートウォッチ外来は、従来の医療現場で看過されていたPHRを、あらためて医療に接続しようとする試みだ。同院は外来の立ち上げに際し、「未来の医療をともに作っていく喜びや楽しさを、患者さんと医療従事者が共有できる外来にしたい」と意欲を見せた。
PHRがもたらす真価
では、PHRの活用が、なぜ未来の医療につながるのか。同院の循環器内科学教授でスマートウォッチ外来の担当である矢田浩崇医師は、Apple Watchの登場がブレイクスルーになったと話す。これまで、患者と「点と点」の関わりしかできなかった医師が、患者と「線」の関わりができるようになったためだ。


現在、Apple Watchの「不規則な心拍の通知プログラム」と「心電図アプリケーション」は、医療機器の認定を受けている。身につけてさえいれば、24時間365日、継続して心臓の異常を検知できるということだ。ここでたとえば、診察室に来る2時間前に、Apple Watchが心房細動の兆候を検知していたとする。これまでは、診察室に来た時点で兆候が治まっていれば、医師がそれに気づくのは難しかった。基本的に、診察室で得られる情報からしか判断できないからだ。自宅や移動中などの情報は知る術がなく、前回の診察からの変化だけを見て「改善した」と判断し、予防の薬を止めてしまうかもしれない。
このような場合でも、「Apple Watchがあれば大事に至らなかった兆候を含めて、時系列で確認し、リスクを把握できる」と矢田医師は説明する。また、同外来が採用した富士通のプラットフォーム「Healthy Living Platform」により、「PHRを使った患者さんの予習ができる」ことも、医療DXへの大きな前進だという。
これまでも、診察時に患者がデバイスの画面を提示したり、紙に印刷して持参したりといった方法で、PHRを使う事例はあった。しかし同外来では、上記プラットフォームによってセキュリティが確保されたクラウド上にPHRを保存し、電子カルテから直接、確認できる仕組みを導入している。
「限られた診療時間の中で、手書きの血圧手帳を読むのではなく、患者さんが診察室に来る前に、最近の血圧の数値の推移を把握できます。たとえば血圧が高かったとして、ほかのPHRと照らし合わせて、『この方は最近、運動ができていないから、体重が増えて血圧が上がっているんだな』など、要因がわかる場合もあります」
近隣の協力先クリニックとPHRを連係
矢田医師には「不要な薬は使いたくないので、できるだけ生活習慣を改善して健康になってほしい」という思いがあるという。PHRの活用により、診察時間短縮や効率化だけでなく、病気の早期発見や悪化防止など、さまざまな選択肢が増えるそうだ。
なお、同外来で診察できるのは、矢田医師が専門とする、心房細動のような循環器科の病気に限らない。高コレステロール患者の生活指導や、高齢者の心身の衰えであるフレイル予防など、幅広く「スマートウォッチを使える人の健康管理外来」という位置づけになっているのが、ほかの病院の取り組みとは違うところだ。
また、富士通のプラットフォームを採用したことで、近隣の協力先のクリニックと連係して、他院でも患者が許可した範囲のPHRが確認できるようになった。今後はさらに、検査結果や処方を紙の紹介状などを介さず、クリニック側で確認できるようにし、情報共有が容易になるという。
現在、同外来では、専用アプリを制作している。運動が必要な患者の歩数が少なければ「もっと運動しましょう」、血圧が上がっていれば「塩分を控えましょう」など、アラートを送るアプリを計画している。生活習慣を改善するには患者のモチベーション維持が大事になるため、励ましになるようなモデルを構築したいという。
指導にはマンパワーも必要だが、それをApple Watchなどの力を借りて、ある程度でも自動化できれば、医療はもっとスマートになるだろう。
矢田医師は、未来の医療の実現を目指し「安定運用するための持続可能な仕組みを整えていきたい」と語った。


※この記事は『MacFan』2026年2月号に掲載されたものです。

おすすめの記事
著者プロフィール
朽木誠一郎
地方の国立大学医学部を卒業後、新卒でメディア運営企業に入社。その後、編集プロダクション・有限会社ノオトで基礎からライティング・編集を学び直す。現在は報道機関に勤務しながら、フリーライターとしても雑誌『Mac Fan』連載「医療とApple」など執筆中。主著に『健康を食い物にするメディアたち』(ディスカヴァー携書)。








