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サイバー空間の地政学的リスクとは?【軍事評論家・小泉悠インタビュー】

サイバー空間の地政学的リスクとは?【軍事評論家・小泉悠インタビュー】

民間の知恵を結集し、一般市民のためのインテリジェンスの構築を目指すと話す小泉悠さん。

ロシアのインターネット事情から、Macを活用した衛星画像の解析、情報インフラをめぐる地政学的リスクまで。ロシアの軍事・安全保障に精通し、民間インテリジェンス機関「DEEP DIVE」を立ち上げた小泉悠さんに、サイバー空間を取り巻く現実と安全なインターネット利用に不可欠な視点を伺いました。

小泉悠さん
一般社団法人DEEP DIVE理事、東京大学先端科学技術研究センター(国際安全保障構想分野)准教授。専門はロシアの軍事・安全保障。著書に『「帝国」ロシアの地政学』(東京堂出版、サントリー学芸賞受賞)、『ウクライナ戦争』(ちくま新書)、『オホーツク核要塞』(朝日新書)など。





情報インフラとサイバー空間の地政学的リスク

──今回の取材のきっかけは、Webブラウザ「Vivaldi」にProton VPNが標準搭載されたというニュースでした。その背景についてCOOの冨田(龍起)さんに取材したところ、「地政学的リスク」がその理由のひとつだと語っていたのが印象的だったんです。

個人的にもVPNには関心があるのですが、ブラウザに標準でVPNが搭載されるというのは興味深いですね。

──冨田さんによれば、アメリカで提携先のVPN事業者を探していた際、上位10社のうち3分の1以上が中国系企業だったそうです。実際にオフィスを訪問しようとしても、バーチャルオフィスだったり、明確な情報が得られなかったりと不透明な点が多かったとのことでした。

その中で、Proton VPNはスイスに拠点を置く信頼できる企業だったというわけですね。ちなみに、私自身もすでにProton VPNと契約していて、大学構内ではモバイルルータ経由でVPNを利用し、ロシアのWebサイトなどにアクセスしています。

──小宮山功一朗先生との共著『サイバースペースの地政学』では、インターネットのインフラやWebサービスの物理的な拠点についても注目すべきだと述べられていましたね。

はい。ITは物理的な基盤の上に成り立っているという、ある意味当たり前の事実が、ようやく広く意識されるようになってきました。地政学的な文脈を無視すると、サイバー空間での行動も危うくなります。たとえば、VPNの運営元がどこにあるのか、それによって誰がどのデータにアクセスできるのかといった点も今や非常に重要な要素となっています。

サイバースペースの地政学
『サイバースペースの地政学』(小宮山功一朗、小泉 悠著、ハヤカワ新書、2024年)。

──GAFAも利用している国内のデータセンターや、海底ケーブルの陸揚げ施設を視察されたそうですね。

ええ。いわば「大人の社会科見学」として、千葉のデータセンターや長崎・西泊のケーブルシップ基地、北海道の某所などを視察しました。やはり、物理的なインフラがなければサイバー空間も存在しえない、という現実を改めて認識させられました。インターネットはバーチャルな空間のように見えますが、実際には非常に物理的な要素に支えられているんです。

──各地のデータセンターや海底ケーブルの陸揚げ拠点が、攻撃対象となるリスクもあるということですね。

その通りです。たとえば千葉などの沿岸部には重要なデータセンターや海底ケーブルの陸揚げ拠点がありますが、そこが破壊された場合の影響は非常に大きい。これまで「サイバー空間のセキュリティ」といえば、ファイアウォールやウイルス対策が主な話題でしたが、今後は物理空間との接点、つまりインフラそのものの防御や冗長性の確保が大きなテーマになってくるでしょう。

実際、バルト海や台湾海峡では海底ケーブルが切断される事例も発生しています。こうした背景から、次期の国家安全保障戦略には情報インフラの保護という視点が盛り込まれるのではないかと思います。

──軍事的な観点からも、そこが“狙いどころ”になる可能性があると。

はい。軍事的には「重心」と言いますが、相手がまず狙うだろうというところがあるわけです。その「重心」が「誰もが利用している基幹インフラ」であることは十分に考えられます。影響が大きく、一般市民の認知度も高いですから。だからこそ、そうした場所の防御や代替手段の確保は極めて重要だと考えています。

──私たちにとってのサイバー空間は、AppleやGoogle、Microsoftといった大企業と切っても切れない関係にあります。Appleはプライバシー重視の立場を取っていますが、そもそもアメリカ企業に依存していること自体に地政学的リスクはありませんか?

国際政治学者のイアン・ブレマーは、今年のグローバルリスク第1位に「アメリカ」を挙げています。何十年かに一度、アメリカ自体が地政学的リスクの源になることがあるのですが、今年がまさにその年に当たるのではないかと思っています。

ロシアや中国は以前からアメリカを信用しておらず、ハイテク分野においてもなるべく依存しない体制を築こうとしてきました。実際に中国は、それをかなりの水準で実現しつつあります。一方で、アメリカが信頼できないとなると、今度は私たち西側諸国のほうが困る立場に追い込まれる逆転現象が起きかねません。

もちろん、日本がIT技術やAIなどをアメリカに依存せずに独自で持つのは現実的に難しいとは思います。しかし、たとえ非効率でも技術を「持っておく」こと自体に意味があり、いざというときの開発スピード──いわゆる「ブレークアウト・タイム」を短縮するという意味では、安全保障上の価値があると考えています。

小泉悠氏インタビュー
民間の知恵を結集し、一般市民のためのインテリジェンスの構築を目指すと話す小泉悠さん。



市民のためのインテリジェンスと安全なインターネット

──DEEP DIVEは今後どのような規模で運営されることを想定しているのでしょうか?

正直なところ、防衛省の情報本部のような大規模組織を目指しているわけではありません。常勤スタッフは10人未満で、私と小原さん、数名のリサーチアシスタントと事務スタッフがいれば十分と考えています。ただし、必要に応じて外部の専門家や、オタク的知識を持つ方々と柔軟に連携できる「ネットワーク型組織」を目指しています。

──「現場で本当に詳しい人」とつながれる柔軟性は、民間ならではの強みですね。

まさにそのとおりです。たとえば、2014年にロシアがウクライナ東部へ「正体不明の武装集団」を送り込んだとき、テレビ局から「これはロシア軍ですか?」と尋ねられても、私にはすぐに判断できませんでした。でも、知り合いの軍装マニアに写真を見せたところ、「これは去年から空挺部隊で採用された新型迷彩だ」と即答してくれて、大変助けられました。公的機関では、そういった“肩書きのない専門家”へのアクセスは難しいのですが、私たちのような立場だからこそ機動的に対応できるのです。

──今後は、レポートの発行やセミナーなどを通じた情報発信にも力を入れていくと。

はい。法人や個人を対象に、地政学インサイトを定期的に提供していく予定です。とくに「早期警告(アーリー・ワーニング)」を重視したレポートによって、企業のリスク対策や政策立案に役立てていただければと考えています。あわせて、DEEP DIVEのYouTube配信やクラウドファンディングによる活動も、今後も継続していきます。

──まさに今の時代に必要な“市民のためのインテリジェンス”という印象を受けました。本日はありがとうございました。

著者プロフィール

栗原亮(Arkhē)

栗原亮(Arkhē)

合同会社アルケー代表。1975年東京都日野市生まれ、日本大学大学院文学研究科修士課程修了(哲学)。 出版社勤務を経て、2002年よりフリーランスの編集者兼ライターとして活動を開始。 主にApple社のMac、iPhone、iPadに関する記事を各メディアで執筆。 本誌『Mac Fan』でも「MacBook裏メニュー」「Macの媚薬」などを連載中。

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