謎を呼んだステンレスバンド
初代iPhoneではじめて携帯電話市場に参入したAppleにとって、iPhone 3GSまでは、ある意味でスマートフォン市場を席巻するための助走期間だったともいえる。
今では信じられないかもしれないが、3GSまでのiPhoneには前面カメラがなく、画面を見ながらの自撮りができなかった。
それはもちろん、必要な知見に不足などがあったからではなく、“しかるべきモデル”まで前面カメラの搭載を見合わせることで、セールスポイントになりうる技術を温存したのである。
その“しかるべきモデル”が、それまでのカーブした背面デザインと訣別して、フラットなサイドとバックプレートを持つiPhone 4(2010年発売)だった。
最初のAppleシリコンであるApple A4とRetinaディスプレイを搭載するはじめてのiPhoneであったこともあり、スティーブ・ジョブズの意気込みも相当なものだったが、その彼を逆上させる出来事が起こってしまう。
それが「IT史上、最悪のリーク」につながった、iPhone 4のプロトタイプ置き忘れ事件である。
テストを担当していたAppleのエンジニアが、あろうことか、バーのスツールに最高機密の試作品を置き忘れ、それを発見した男性がテクノロジーメディア「GIZMODO」に5000ドルで譲り、「これがAppleの次期iPhoneだ」という写真入りの記事のネタとなったのだ。
そのときまでにプロトタイプはAppleのリモート操作によって文鎮化されていたため、記事は外観デザイン中心の構成だったが、サイドのステンレスバンドにギャップがあることから「Appleらしからぬディテール」だとして、本物ではないと断じる意見もあった。
結果として、3日で170万台を販売!
このリーク騒動に対してジョブズは烈火のごとく怒り、GIZMODOのライターの自宅に専門チームを派遣してiPhone 4のプロトタイプはもちろん、記事執筆のための機材などまで押収したとされるが、そもそも騒動の発端となったエンジニアには何の処分も下されなかった。
そして、2010年のWWDC(世界開発者会議)でiPhone 4が発表されたとき、ジョブズは最初の特徴として完全な新デザインを挙げ、「もし、もう見たよという人がいたら、私の話を止めてくれ」と言って会場の笑いを誘った。
続いて、ディテールの写真を見せながら「この精緻な製品にもっとも近いものは、古いライカのカメラだ」と、そのデザインの精密さを讃え、さらに例のギャップについて「Appleらしくないとさえ言う人もいるようだが」と自虐的なジョークのネタにしたうえで、「実は、ステンレスバンド自体がアンテナシステムを構成している」と、役割の違いでバンドを3分割する必要からギャップを設けたことを明かした。
この新発想の構造には会場の開発者たちも大いに感心し、拍手喝采となった。
結果としてiPhone 4は、24時間で60万台の予約が入り、発売からわずか3日で170万台を販売するという大ヒットを記録。
後に、ステンレスバンドのアンテナシステムには手で触れると感度が落ちる弱点も露呈したが、現在のiPad Pro/AirやiPhone 13では、それも克服したうえで、iPhone 4に近いデザインが採用されている。
※この記事は『Mac Fan』2022年1月号に掲載されたものです。
著者プロフィール

大谷和利
1958年東京都生まれ。テクノロジーライター、私設アップル・エバンジェリスト、神保町AssistOn(www.assiston.co.jp)取締役。スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツへのインタビューを含むコンピュータ専門誌への執筆をはじめ、企業のデザイン部門の取材、製品企画のコンサルティングを行っている。