東京ガス株式会社は、従来のエネルギー供給事業だけでなく、デジタル技術を活用したソリューションビジネスの展開を急速に進めている。その一環として、Vision Proを活用した新たな取り組みが動き始めた。
東京ガスが最先端の空間コンピュータ技術をどのようにビジネスに取り入れ、どのような未来を描いているのか、東京ガス株式会社 常務執行役員の清水精太CDOに聞いた。
東京ガスの未来を見据えたビジョン
東京ガスは日本ではじめて液化天然ガス(LNG)を導入し、首都圏の都市ガスや発電用燃料の供給を行ってきた。2016年の電力小売全面自由化以降は家庭向けの電力供給を開始し、近年は再生可能エネルギー事業にも積極的に取り組んでいる。
創業から約140年にわたり国内エネルギー事業を展開してきた東京ガスだが、2030年に向けた経営ビジョンのひとつとして、ソリューション事業の強化を掲げている。同社の最高デジタル責任者(CDO)の清水精太氏は、こう話す。

「東京ガスといえば、電力・ガス事業のイメージが強いと思いますが、現在はエネルギー関連機器やソフトウェア開発などのソリューションビジネスや、海外でのエネルギー事業を強化しています。。特に、未来を見据えたDX(デジタルトランスフォーメーション)・GX(グリーントランスフォーメーション)を推進するための、新たなソリューションの開発が重要と考えています」
多様な課題に応じたソリューションを提供するには、さまざまなデジタル領域での情報収集が欠かせない。多くのベンチャー企業やVC(ベンチャーキャピタル)との連係を進める中、清水氏が注目したテクノロジーのひとつが、アップルのVision Proを用いた空間コンピューティングだ。しかし、もともとVR(仮想現実)には懐疑的だったと振り返る。
「AR/VRについては、以前から知識として持っていました。しかし、没入感の低い眼鏡型のデバイスや、日常的に使うには大きくて重たいHMD(ヘッドマウントディスプレイ)の装着には心理的なハードルが高いのではないかと、半信半疑の部分があったのです。しかし、2024年5月にVision Proのデモを体験し、その考えは一瞬にして覆されました」
現実を超えたVision Proの手応え
清水氏が体験したデモというのは、MESON(メザン)社が開発したVision Pro専用の3Dモデルビューワだ。空間への没入感や、視点をミクロからマクロまで自在に切り替えられる3Dオブジェクトの実在感に圧倒されたという。


「一言で言えば、衝撃でした。仮想空間がリアルに出現し、視点を自由に切り替えられることに驚きましたね。たとえば、富士山の絶景は映像でもリアルに見ることができますが、火口の中はどうなっているのか、一つひとつの石の質感はどのようなものか、そうした細部まで確認できるのがVision Proの利点です。全体像からその細部まで、さまざまなアングルで再現できる体験は、リアルを超えるバーチャルの可能性と価値を示していました」
これまで感じていたハードルを越えられると確信した清水氏は、翌日にはMESON社と共同で空間コンピューティングアプリを開発することを決め、2024年6月に開催される「ジャパン・エネルギー・サミット2024」での展示に向け、プロジェクトが始動した。開発期間はわずか1カ月程度と短かったが、コンテンツの制作からアプリの開発までスピーディに進んだという。
「展示したのは、弊社が出資している『浮体式洋上風力発電』の3Dモデルです。施設はポルトガルの沖合にあるのですが、現地に行くことは難しく、実際に訪れても全体像を船から眺めることしかできません。また、プロジェクトのスケール感や波の中で浮体を安定させる技術的な困難さなどを、言葉やプレゼン資料だけで説明するのは難しいとも感じていました。しかし空間コンピューティングであれば、洋上に浮かぶ大型風車のスケールも実感でき、重要な部分をクローズアップして説明とともに確認できます。世界中から来場者が集まる展示会において、私たちのグリーンエネルギーに対する取り組みの価値やその魅力をダイレクトに伝えるには、これこそが最適な手法だと考えました」

ブースは来場者で賑わい、地上波のテレビ番組にも取り上げられるなど、大きな手応えを得たという。
「エネルギー業界のBtoB向け展示会がテレビ番組で紹介されるのは異例のことでしたし、社内の担当者からも喜ばれました。プライベート用途でVision Proを装着することには、まだハードルがあるかもしれません。私自身、ヘアスタイルが乱れるのは嫌でしたしね。しかしビジネスの分野においては、もたらされる価値が圧倒的であれば、そうした点は問題になりません。その確信が得られたことも、今回の展示会の成果のひとつだと考えています」
東京ガスでVision Proが果たす役割
展示会での空間コンピューティング活用の成功は、東京ガスのソリューション事業強化に向けた取り組みのスタート地点に過ぎないと清水氏は語る。VRの今後の活用方法としては、技能訓練や安全管理の研修などへの応用が考えられるという。
「今回のように、展示会や商品発表においてコンテンツを充実させていくのもひとつの方向性です。しかし、私たちと同じようなニーズを持つ企業に向けて、広くソリューションを展開していくことも十分に考えられます。たとえば東京ガスグループでは、横浜にある研究開発施設で、インフラ企業と連係した防災訓練や関連企業を招いた安全教育を実施しています。ここにVRを導入できれば、地理的・時間的な制約を軽減し、より多くの参加者が研修や教育を受けられるようになるでしょう。また、Vision Proを活用することでリアルな体験を提供でき、AIを組み合わせることで、コンテンツの可能性もさらに広がると考えています」
東京ガスでは、空間コンピューティングをはじめ、生成AIなどを活用したDXと、ガス・電力のカーボンニュートラル化を推進するGXを組み合わせたソリューション事業ブランド「IGNITURE」を展開している。

「生成AIやデジタル技術を活用した業務効率化において、iPhoneやVision Proといったアップルデバイスが果たす役割は非常に大きいと考えています。東京ガスとしても、これらのテクノロジーの可能性を探求し、ご家庭や企業、地域やコミュニティといったお客様の課題解決に貢献する新たなソリューションを創出していきます」
※この記事は『Mac Fan』2025年5月号に掲載されたものです。
著者プロフィール

栗原亮(Arkhē)
合同会社アルケー代表。1975年東京都日野市生まれ、日本大学大学院文学研究科修士課程修了(哲学)。 出版社勤務を経て、2002年よりフリーランスの編集者兼ライターとして活動を開始。 主にApple社のMac、iPhone、iPadに関する記事を各メディアで執筆。 本誌『Mac Fan』でも「MacBook裏メニュー」「Macの媚薬」などを連載中。