ジョナサン・アイブがAppleを退社してから約5年が経つ。Appleを退社後、マーク・ニューソンとともにLoveFrom,という新会社を起ち上げたが、その詳しい活動内容などはあまり公になってこなかった。しかし、実際はこの5年間も精力的に活動しており、現在はOpenAIとの共同開発に注力しており、新たに仲間となるデザイナーを募集している。
初代iMac以来、Apple製品のデザインを手掛けてきたジョナサン・アイブ
Apple好きであれば、ジョナサン・アイブの名前を知らない人はいないだろう。Appleの元CDO(Chief Design Officer、最高デザイン責任者)であり、1998年のiMac(ボンダイブルー)以来、ほぼすべてのApple製品のデザインを手がけてきた。
ジョナサン・アイブのすばらしさは、Appleに新しいデザイン潮流を持ち込むのではなく、Appleが創業当時から培ってきたデザイン言語を理解し、尊重し、それをモダンなものに変えていったところにある。しかも、その過程で、トランスルーセントやキャンディカラー、ミニマリズムといったAppleデザイン言語の語彙を大きく増やしていった。
さらにすばらしいのが、工業デザイナーたる姿勢だ。名声が高まったデザイナーは、往々にして自我を出した“作品”を作りたがるようになる。しかし、ジョナサン・アイブは最後まで“製品”をデザインし続けた。この100年でもっとも偉大な工業デザイナーの一人と言っても過言ではないと思う。
Appleを退社後の5年間。アイブは何をしてきたのか
ジョナサン・アイブの業績は、スティーブ・ジョブズという理解者があってのものだった。そのジョブズが2011年にこの世を去り、8年後の2019年6月、ジョナサン・アイブもAppleを退社した。Appleのひとつの時代が終わったことになる。
その後の5年間、ジョナサン・アイブはほとんどメディア露出をしなかった。一体、この5年間何をしていたのか。ジョナサン・アイブが行っていたのは、主に以下の4つだ。
- 新会社LoveFrom,の設立
- サンフランシスコの一角にある建物の買い占め
- 英国王チャールズ3世のロゴデザイン
- OpenAIとのコラボレーション
Appleを退社後、すぐに自分の会社であるLoveFrom,(ラブフロム)を設立した。同じくAppleのデザイナーだったマーク・ニューソンが共同創業者になっている。
しばらくはAppleとデザイン面に関するアドバイザー契約を交わしていたが、2022年7月に契約が切れ、Appleとの関係はなくなった。そして、このLoveFrom,が何をやっているのか、情報は非常に少ない。
LoveFrom,の公式Webサイトを見ても、社名が表示されたあと、熊が歩くアニメーションが展開されるだけで、事業内容や所在地などの説明は一切ない。代表者の名前もない。偶然このWebサイトにたどり着いたとしても、ジョナサン・アイブの会社であるという知識がなければ、何のページなのかわからないだろう。
新会社のスタジオは、ジョブズとの思い出の地のそばに
LoveFrom,のスタジオは、サンフランシスコ市のモンゴメリー街809にある。法律事務所になっていた物件が売りに出されていたため、購入したそうだ。ジョナサン・アイブがここにスタジオを置いた理由は明らかだった。1989年の夏、英国王立芸術協会の旅行奨学金を受け取ったジョナサン・アイブは、革新的なコンピューターをつくっていると評判になっていたAppleと、シリコンバレーを自分の目で見るためにサンフランシスコにやってきた。そして、この街が気に入ってしまったのだという。
そして、サンフランシスコの中で好きだった場所がシティライツブックストアとその隣にあるベスビオカフェだった。のちにスティーブ・ジョブズと出会ったとき、ジョブズもこのブックストアとカフェがお気に入りであることがわかり、通じ合うものを感じたという。LoveFrom,のスタジオは、その重要な場所から1ブロックしか離れていない。
着々と進むLoveFrom,の拠点づくり。“ブロック”ごと買い取る、大胆な計画
そんな中、ジョナサン・アイブは、スタジオのあるブロックの奇妙な構造に気がついた。モンゴメリーストリートとコロンバスアベニューに挟まれたこの一角の中心は、共用の駐車場になっている。それはジョナサン・アイブの目には美しい中庭に見えたという。ジョナサン・アイブは、このブロックの建物が売りに出ると迷わず買い占めていった。そして、結局はこのブロックを丸ごと買い取り、サンフランシスコ市計画局に再開発計画を申請した。
計画図によると、建物はほぼそのまま活かし、中心の駐車場を中庭に作りかえ、そこにコテージ風のワークスタジオらしきものができるようだ。ここをLoveFrom,の拠点にしようとしているのだろう。
アイブがデザインした、新・英国王チャールズ3世の戴冠式の公式エンブレム
2022年9月8日、ジョナサン・アイブの母国である英国のエリザベス女王が崩御された。それにより、皇太子であるチャールズ3世が王に即位することになる。工業デザインの業績から2012年にナイト(KBE)の勲章を授与されたジョナサン・アイブは、チャールズ3世の戴冠式の公式エンブレムのデザインの依頼を受けた。英国王室から直接の依頼だ。
ジョナサン・アイブらしい、繊細で美しいロゴができあがった。イングランドのバラ、スコットランドのアザミ、ウェールズの水仙、北アイルランドのシャムロックなど、英連邦の4つの国の植物をあしらったものだ。これがユニオンジャックに使われている赤、青、白の3色でまとめられている。
英国王室の公式サイトでも、このロゴの制作者としてサー・ジョナサン・アイブの名前が掲載され、LoveFrom,についても言及がある。
世界的な企業とさまざまなコラボレーション。LoveFrom,が本格的に動き出す!
LoveFrom,は、製品という形で世の中に出るものは少ないものの、精力的に活動をしているようだ。たとえば、2020年10月にはAirbnbと、次世代の製品とサービスを生み出すためのコラボレーションを行うことを公表した。また、2021年9月にはフェラーリとの長期契約を結んでいる。報道によると、2025年にフェラーリが発売するEVに関連したコラボレーションだという。
さらに2023年には、イタリアのファッションブランド「Moncler」とのコラボレーションも行った。マグネットを利用したデュアルボタンという、面白い仕組みを採用している。どことなくiPadのスマートカバーやMagSafeが思い起こされる仕様だ。
また、同年にはOpenAIとのコラボレーションが発表されている。AIを搭載したハードウェアデバイスを開発するようだ。このために新しいデザイナーを集めており、Appleのデザイン担当副社長であるタン・タンが、2024年2月にAppleを退社し、LoveFrom,に合流することが明らかになっている。
このプロジェクトから生まれるAIデバイスがどのようなものになるかはまったく情報がない。しかし、元Appleのデザイナー3人が関わることから、Appleユーザには注目のデバイスになるだろう。着々と体制づくりを進めるジョナサン・アイブのLoveFrom,。いよいよ本格始動に入ったようだ。
著者プロフィール
牧野武文
フリーライター/ITジャーナリスト。ITビジネスやテクノロジーについて、消費者や生活者の視点からやさしく解説することに定評がある。IT関連書を中心に「玩具」「ゲーム」「文学」など、さまざまなジャンルの書籍を幅広く執筆。