マウスの育ての親としてのMac
マウスの発明者は、スタンフォード研究所のエンジニアで、世界初のオンライン・コラボレーション・システムであったNLS(oN-Line Systemの略)のデモなども行ったダグラス・エンゲルバートである。しかし、彼のマウスは直交する軸を持つ、独立した2枚の円板の回転によって移動量を検出するもので、後のボール式のものとは異なっていた。
ボール式マウスは、1973年に開発されたゼロックスのパロアルト研究の実験機のALTOや、1981年に同社が発売したオフィス・ワークステーションのSTARに採用されたが、より本格的な民生機への普及は、AppleのLisaやNECのPC-100、そして、Macintoshの登場を待たねばならなかった。そして、マウスの生みの親はエンゲルバートだったとしても、育ての親はMacであったと断言できる。
当時の僕は、さすがに身近な場所にLisaはなかったものの、アルバイトしていた某シンクタンクにPC-100があって操作する機会に恵まれ、両者のマウスの間に越えがたいギャップがあることを感じていた。
格段に優れていたMacのマウス
そのときに感じたのは、PC-100のマウスは後のWindowsマシンと同じように動きが今ひとつ直感的でなく、Macのように自在に操れなかったことと、マウスのボールが金属製で、マウスパッドなしには滑ってしまうという点だった。
実は、1983年1月に発表されたLisaのマウスも金属ボールで、その年の10月に発売されたPC-100は、それに倣ったものと考えられる。しかし、1984年に登場した初代Macのマウス(および、それ以降の純正機械式マウス)のボールは、ラバー系の皮膜で覆われ、マウスパッドなしでも利用できるよう、短期間のうちに改良されていた。
また、当時からMacのマウスポインタは、自分の指先のように自在に、かつ1ドット単位で正確にコントロールすることができた。これに対してPC-100のマウスポインタは画面上の一点をピンポイントで指すような処理が苦手で、細かい作業をしようと思うと、結構、疲れるのであった。
Appleは、マウスの使い勝手がGUIの成否に関わるというくらいの覚悟でドライバソフトの開発にあたったのだろう。当時すでに、まったくストレスのない操作感が実現され、それがMacの使いやすさに直結していた。
しかし、Appleはそれで満足せず、Mac本体に比べればモデルチェンジの頻度は少ないものの、節目節目でマウスの改良に努めてきた。ジョブズ復帰以降の光学マウス化や、一見、ボタンレスに見えるデザイン面の進化も大きいが、個人的に感心したのは、1993年頃にデビューしたADBマウスIIだ。
それまで手のひらの直下あたりに位置していたボールの位置を前方に移動したことで指先近くでコントロールできるようになり、さらに精度が高まった。これは、既存の基板を流用せず、設計から見直したからこそ実現した機構だった。
光学式になってからも、一時はセンサが中央付近にあったが、その後、先端部分に移されて現在に至っている。今ではトラックパッドも人気だが、マウスに込めたAppleの情熱は、初代から燃えていたのである。